脳内ブログ

 何かと以前からお世話になってたりする goo と、脳内メーカーで有名なうそこメーカーがコラボして脳内ブログというのをやっていると聞いたので、ためしてガッテン。

2008年03月11日

ちょっと運河掘りに疲れたので、
コンビニの雑誌コーナーで、一服中デス。
これから、あとピンポンダッシュやってから、
ブログアップして、やっと今日の仕事終わりです。
まだまだ、長いなー。
goo×うそこメーカー

 ついでに脳内検索もしてみた。

mezzo forteの脳は
恥ずかしそうにブヒョーを
ここぞとばかりに投資を
なにはともあれ部分やせを
検索したがっている。

…したがってません。ええ、けっして部分やせなどっ!

ぬこだらけ

 とりあえずこれで全部。この2匹は母娘で、前のブチが「しい」、後ろの茶トラが「めちゃちゃ」。正式な名前があるらしいが忘れた。

 どうせぬこって自分の名前覚えてないし。腹が減っていれば「マリリン」と呼ぼうが「ゴンザレス」と呼ぼうが飛んでくるし、用事がなければ振り向きもしないし…

猫洗い弁天

 昨日、ちょっと暖かかったのでぬこを洗った。メスのスコティッシュフォールドのマリを。

 とにかく臭い。このぬこは自分でほとんど手入れをしないので、あり得ないほど汚れている。手でちょっと触ると「べとっ」とする。毛を掻くと何かガビガビしたものが絡まっている。触ったあとに手を嗅ぐと動物臭がする。直接持って嗅ぐとウ●コ臭い。50センチ近づけると臭うので、野生の動物の方がもうちょっとマシなんじゃないかと思う。

 ウチに来た当初、捨て猫でありながらクラシック・ブラウン・タビー(セピア色の縞模様)の高級感あふれる毛並みと垂れた耳、丸い姿と大きな目で愛らしさを振りまいて近所でも人気者だった。それがウチのようなビンボーな家に何年も暮らし、子供を6匹も生むと、ここまでビンボったらしい生き物に変貌するものか。おかげで今や家族にも見向きもされない状態。私が持って歩くとウ●コのように忌み嫌われる。

 元々スコティッシュフォールドは「静かな自信家」とフォーグル博士の「CATS」という本に書いてあるほど、独りでいることが好きであまり干渉を好まない。ヒザに抱かれるのも嫌うぐらいだから、案外周りが近づかない方が気楽なのかもしれない。だが家の中にこんなウ●コ生物が歩いているのに、鈍感な家族が気にしなくても私が耐えられない。冬場は風邪をこじらすといけないので洗うのを我慢していたのだが、もう限界だ。

 で、ぬこを飼ったことがある人ならわかると思うが、だいたい水を嫌う。普段何もしないくせに、嫌なことには全力を傾けて逃げる生き物なので、その抵抗といったらすごい。ニャーニャー叫ぶのを取り押さえて洗面器の湯に漬けてみると、みるみるうちに茶色く濁る。なんだこれは。透明度は味噌汁以上。換気扇を洗っている気分になってきた。30分ぐらい漂白剤につけてから、洗濯ネットに入れて洗濯機で回したくなってきた。

 4回目のシャンプーでようやく水が濁らなくなってきた。ここでようやく顔を洗い始める。両サイドから攻めて、最後に顔を直接グシグシしながらシャワー攻撃。暴れる。毛が濡れると顔の面積が半分になった。宇宙人のグレイのようで怖い。

 そしてここで休憩。とりあえずぬこを洗面器の湯につけておく。ぬこも疲れたのかグダッとして、洗面器のフチに足をかけて息を切らしている。

 6回目のシャンプーでやっと臭いがしなくなってきた。と思ったら何か臭い。臭ったのは口の方だった。こちらはどうしようもないので、ここでようやく本格すすぎに入る。すすぐとまだガビガビが残っている。もうこれ以上洗うと、ぬこも私も体力の限界なのであきらめた。

 ぬこ用タオルで拭き取るが、元々寒冷地のぬこなので毛の密度がある分、吸水性がすごい。なかなか水気が取れない。ぬこも最後の抵抗を試みる。じっとしていないからなおさら拭き取れない。結局ハンドタオル2本とバスタオル1本を犠牲にした。

 ハリネズミのような状態で風呂から出し、ファンヒーターの前に置いて乾燥。しばらくするとだんだん元の状態に膨らんできた。乾いた色になると毛の模様がはっきりと浮かび上がってきた。こんな色だっけ? と思うほど汚れていたのか…

追記:写真追加しますた。

追々記:再現図追加しますた。

ベン・フォールズ・ファイヴ/ネイキッド・ベイビー・フォトス

 音楽レビュー第2弾。今度はガラッと変えてベン・フォールズ率いる3ピースバンドの1998年のアルバム「ネイキッド・ベイビー・フォトス(Naked Baby Photos)」。これはインディーズ時代も含めた未公開トラック集(って公開した時点で「未公開」じゃないような気がするが)。

 このバンドの特徴というか、メインはベン・フォールズ(Ben Folds)のドライブ感あるピアノとボーカル。メチャクチャなようでキッチリと変拍子なビートも叩けるドラムスのダレン・ジェシー(Darren Jessee)や、ハウリング寸前のところでディストーションを自在に操るエレキベースのロバート・スレッジ(Robert Sledge)も芸達者なのだけれど、ベンのピアノが今までのピアノとは一線を画す巧さと新鮮さ。恐らく子供のうちからクラシックとかの基礎を積んでるんだろうけど、ジャズやソウルやロックに浮気したりしているうちにどこかネジが飛んでしまった感じ。とにかくはっちゃけてるのだ。ピアノという楽器をここまで自由にロックさせるのは、半端なくすごい。

 デビューアルバム「ベン・フォールズ・ファイヴ(Ben Folds Five)」にも収録の「Underground」は、このアルバムでは肝心な導入部でピアノをミスタッチするところまでそのまんま収録されていて、まさに Naked(丸裸)が聴き取れる。
 「The Ultimate Sacrifice」はライブ音源なのだけれど、どこかの大御所ロックスターをまんまパクッたようなお茶目な曲。裏声でワケのわからないことを叫んでいるところは、巨大すぎるスターを皮肉っているようで面白い。とはいえドラマチックに盛り上げるピアノのトリルや、ロバートの分厚いディストーションサウンドなど、しっかりハードロックをモノにしているところがあなどれない。
 「Philosophy」でもサビでガーシュインの「Rhapsody in Blue」のイントロのフレーズを超高速で叩きつけて最後グダグダになるのだが、恐らくちゃんと弾けるのにワザとそれをやっているのだから、ある意味聴く者をナメている。

 時々「F*ckin’ Sh*t!」とかドサクサにまぎれて叫んでたりするし、ハチャメチャで挑発的とも取れるのだが、バラード系になるといきなり人が変わったように叙情的になる。
 「Alice Childress」は傷ついた女性を歌った曲で、包み込む優しさにあふれたメロディ。あれだけメチャクチャしておいて、抑えたタッチと絶妙なペダルワークで聴かせるこの手のバラードを、合間合間に挟んでくるのだから反則だ。

 なお、このバンドは「ラインホルト・メッスナーの肖像(The Unauthorized Biography of Reinhold Messner)」を最後にベンがソロ活動に入って解散してしまったのだけれど、段々と角が取れて洗練されて最初の勢いを失ってつまらなくなっていく、という王道のルートを進んでしまった。何せこちらのアルバムにはこれまた「ありがちな」ストリングスまで入っているし。調律の効いた「らしからぬ」ピアノは多くのファンをガッカリさせたのではないだろうか。ファンはともかく私はやはりベンのホンキートンク(調子っ外れ)なピアノが聴きたいのだ。

 とにかくベン・フォールズ・ファイヴの魅力はマトモにやればちゃんとできるだろうに、バカな方向に脱線してしまう「学生バンド」的な雰囲気にあると思う(もちろんレベル的には学生を大きく凌駕しているが)。そんなバンドで連想するといえばサザン・オールスターズがあるだろう。音楽性こそ違うが「勝手にシンドバッド」のデビュー前に既に「いとしのエリー」を完成させていたというから、確信犯なところは似ているかもしれない。

 こちらのアルバムではないのだが「ホワットエヴァー・アンド・エヴァー・アーメン(Whatever And Ever Amen)」の日本盤には日本語訳詩でベンが歌ったボーナストラック「金返せ(Song For The Dumped)」が収録されている。誰が訳したが不明だが「♪かーねーをかえっせー」と妙に元のメロディにハマってるところがいい。

 実は「挑発」というより、ファンを愉しませるサービス精神故の彼らの「挑戦」なのだろう。ガキなフリして実にしたたかなのである。