ジェネシス/インヴィジブル・タッチ

 そういや最近コンピュータの話ばかりで音楽レビューをやっていない。これはイカンと思いとりあえずイスから立たずに手に届くものを手に取ったらこれがあった。フィル・コリンズ(Phil Collins)率いる3人組ユニット、ジェネシス(Genesis)のアルバム「インヴィジブル・タッチ(Invisible Touch)」。

 このアルバムにはジェネシスの系譜みたいのがオマケについていて、元々5人組だったのが入れ替わったり抜けたりしたのがちゃんと網羅されてて興味深い(初代メンバーの1人は農場主になっているらしい)。Tong さんによると3人になる前はメインのボーカリストがいたらしいのだが、この人がエキセントリックな人だったらしく、さんざんバンドを振り回して脱退したため、仕方なくフィルがドラム叩きながらボーカルをやるハメになったらしい。まあ私が持っているのはフィルがボーカルやっているのしかないのでどうでもいいことなのだが。

 というよりフィルの声質が好きなので他を買わないというのもあったり。私は自他認めるレイ・チャールズ(Ray Charles)マニアなので(だったらレビュー書けよ)、ソウルフルな裏声が好きだったりする。フィルの声はどっちかというとレイよりは同じイギリス人のスティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)に近い感じ。考えてみるとウィンウッドのアルバムもほとんど持ってたりするのだが、あまりに寡作なために代わりに買ったというのもあるかも。いや代わりとは失礼か。

 むしろ音楽的な成功であるならフィルの方が勝っている。ドラマーとしての評価が高いので、エリック・クラプトン(Eric Clapton)のセッションメンバーとして招かれたり(私の手元にあるのでは「ジャーニーマン(Journeyman)」に参加」)など「世界で一番忙しいドラマー」と言われていた程。

 ではその肝心のドラムの音であるが、実はそんな派手さはない。自分が主役のこのアルバムでもドラムは前に出ず、むしろ他のメンバーのマイク・ラザフォード(Mike Rutherford)の音数は少ないがドラマチックなギターのチョーキングやリズミカルなカッティング、トニー・バンクス(Tony Banks)の今では古臭さも否めないシンセサウンドだが強烈に耳に残るキャッチーなリフの方が前に出ている。スローなバラード系「イン・トゥ・ディープ(In Too Deep)」などスネアを1小節に1回叩くのがほとんどで、全然叩いていない(いや実際はもっと叩いているけど)。現在愛用している AKG K240 Studio でモニタリングしてみると、全体のバランスを考えて緻密に音作りしていることがわかる。まあ3人で様々な楽器を兼任してオーバーダブ(多重録音)しなくちゃいけないのだから当然といえば当然だが。

 だがドラムが他の音に埋もれているかというかというとそんなことはなく、ここぞという時にメロディックなサウンドを叩く。ドラムというのは打楽器なので音程はあまり関係ないと思う人もいるかと思うが、実はちゃんとチューニングもあるしメロディも奏でられる。ウソだと思うならジャズだけどマックス・ローチ(Max Roach)の「ドラムス・アンリミテッド(Drums Unlimited)」を聴いてみることをオススメする。

 と脱線したが、フィルのドラムは確かに他のアーティストが迎え入れたくなるだろう要素がこのアルバムを聴くといっぱいあることがわかる。別にビジュアルに自信のないアーティストが引き立て役として、風貌がピーナッツのチャーリー・ブラウンみたいなフィルを呼んだワケじゃない(つくづく失礼だな)。特に最後のインストゥルメンタル「ザ・ブラジリアン(The Brazilian)」の絶妙なかけ合いがスリリング。シンセやシンセドラムの音が今となっては古臭く感じるかもしれないが、サウンドは未だ新鮮に感じるしドラマチック。SF映画のサントラでも使えそうな、雰囲気いっぱいな曲ばかり。

 そんなわけで声から入ったのだけれど、今ではサウンドが気に入ってヘヴィー・ローテーションでかけていたりする。でも次回はちゃんとレイ・チャールズやります…

ベン・フォールズ・ファイヴ/ネイキッド・ベイビー・フォトス

 音楽レビュー第2弾。今度はガラッと変えてベン・フォールズ率いる3ピースバンドの1998年のアルバム「ネイキッド・ベイビー・フォトス(Naked Baby Photos)」。これはインディーズ時代も含めた未公開トラック集(って公開した時点で「未公開」じゃないような気がするが)。

 このバンドの特徴というか、メインはベン・フォールズ(Ben Folds)のドライブ感あるピアノとボーカル。メチャクチャなようでキッチリと変拍子なビートも叩けるドラムスのダレン・ジェシー(Darren Jessee)や、ハウリング寸前のところでディストーションを自在に操るエレキベースのロバート・スレッジ(Robert Sledge)も芸達者なのだけれど、ベンのピアノが今までのピアノとは一線を画す巧さと新鮮さ。恐らく子供のうちからクラシックとかの基礎を積んでるんだろうけど、ジャズやソウルやロックに浮気したりしているうちにどこかネジが飛んでしまった感じ。とにかくはっちゃけてるのだ。ピアノという楽器をここまで自由にロックさせるのは、半端なくすごい。

 デビューアルバム「ベン・フォールズ・ファイヴ(Ben Folds Five)」にも収録の「Underground」は、このアルバムでは肝心な導入部でピアノをミスタッチするところまでそのまんま収録されていて、まさに Naked(丸裸)が聴き取れる。
 「The Ultimate Sacrifice」はライブ音源なのだけれど、どこかの大御所ロックスターをまんまパクッたようなお茶目な曲。裏声でワケのわからないことを叫んでいるところは、巨大すぎるスターを皮肉っているようで面白い。とはいえドラマチックに盛り上げるピアノのトリルや、ロバートの分厚いディストーションサウンドなど、しっかりハードロックをモノにしているところがあなどれない。
 「Philosophy」でもサビでガーシュインの「Rhapsody in Blue」のイントロのフレーズを超高速で叩きつけて最後グダグダになるのだが、恐らくちゃんと弾けるのにワザとそれをやっているのだから、ある意味聴く者をナメている。

 時々「F*ckin’ Sh*t!」とかドサクサにまぎれて叫んでたりするし、ハチャメチャで挑発的とも取れるのだが、バラード系になるといきなり人が変わったように叙情的になる。
 「Alice Childress」は傷ついた女性を歌った曲で、包み込む優しさにあふれたメロディ。あれだけメチャクチャしておいて、抑えたタッチと絶妙なペダルワークで聴かせるこの手のバラードを、合間合間に挟んでくるのだから反則だ。

 なお、このバンドは「ラインホルト・メッスナーの肖像(The Unauthorized Biography of Reinhold Messner)」を最後にベンがソロ活動に入って解散してしまったのだけれど、段々と角が取れて洗練されて最初の勢いを失ってつまらなくなっていく、という王道のルートを進んでしまった。何せこちらのアルバムにはこれまた「ありがちな」ストリングスまで入っているし。調律の効いた「らしからぬ」ピアノは多くのファンをガッカリさせたのではないだろうか。ファンはともかく私はやはりベンのホンキートンク(調子っ外れ)なピアノが聴きたいのだ。

 とにかくベン・フォールズ・ファイヴの魅力はマトモにやればちゃんとできるだろうに、バカな方向に脱線してしまう「学生バンド」的な雰囲気にあると思う(もちろんレベル的には学生を大きく凌駕しているが)。そんなバンドで連想するといえばサザン・オールスターズがあるだろう。音楽性こそ違うが「勝手にシンドバッド」のデビュー前に既に「いとしのエリー」を完成させていたというから、確信犯なところは似ているかもしれない。

 こちらのアルバムではないのだが「ホワットエヴァー・アンド・エヴァー・アーメン(Whatever And Ever Amen)」の日本盤には日本語訳詩でベンが歌ったボーナストラック「金返せ(Song For The Dumped)」が収録されている。誰が訳したが不明だが「♪かーねーをかえっせー」と妙に元のメロディにハマってるところがいい。

 実は「挑発」というより、ファンを愉しませるサービス精神故の彼らの「挑戦」なのだろう。ガキなフリして実にしたたかなのである。

ハービー・ハンコック/処女航海

 さっきまで何かミョーに頭が痛かったのだけれど、さっきちょっと寝たらだいぶ良くなったので、起きてゴソゴソ。
 なんか日記を作ったら物凄い勢いで更新しまくっている。というか色んなパターンで動作検証しないと、と思うと夜も眠れなかったり。別に不具合が出てから直せばいいんだけれど、どうもこの辺がビンボー症。

 まあそんなことより日記を作って一番やりたかったことは好きな音楽のレビューをやりたかったわけで。「批評」なんておこがましいことはあんまりしないで、純粋に「音を楽しむ」レビューにしようと思うつもり。何せ音楽は聴いてみなければわからないけれど、聴ける機会は少ないし。検索してちょっとピンとでも感じてもらったら私としては嬉しいのデス。

 では記念すべき第1回は「夜の海で泣きたい音楽」の私的ベストに輝くハービー・ハンコック/処女航海(Herbie Hancock/Maiden Voyage)。10年ぐらい前に独り暮らししてたときには、カセットに録音したのを持ち出して、海辺にバイクを止めて一瞬マジになって泣いた、そんな青臭い思い出の1枚。

 このハービー・ハンコックという人はジャズピアニストでも器用な部類に入る人で、ロックでもクラシックでも、何でも弾けるので、逆に一部のジャズ愛好家には認められつつも嫌われたりしているが、私は好きだ。で、このアルバムはスイング・ジャーナルという雑誌でゴールドディスクに選定されている定番中の定番。今さら私が取り上げてどうこう言わなくても検索すればイロイロと評価が出てくるかと思うが、誰も書かないような視点で書くよう挑戦してみる。まあ何かしらカブるとは思うけど…

 このアルバムはクラシックの組曲のように海をテーマにして構成されている。ジャズは即興で演奏する音楽なので、最低限のルールだけ決めてあとはミュージシャンの好き勝手にやってしまうのが「普通」だったりするが、これは恐らくかなりハンコックがスコアを書いて他のプレイヤーを制限しているようで、その点はクラシック的であるかもしれない。ある意味ジャズというのはギリギリの危なっかしさを愉しむフシもあるので、そういう点でこのアルバムは、ジャズ初心者でも安心して聴けると思う。

 だがこのアルバムは、この時代(1965年録音)にマイルス・デイビス率いるミュージシャン達(もちろんその中にハンコックもいる)によって作られたモード奏法(さまざまな音階を軸にした音楽構成)で演奏されている。従来のコード奏法(和音を軸にした音楽構成)から脱却しているため、未だ多くのポップスやロックがコードに縛られているのを考えても古臭さはない。まあモード奏法が普及しなかったのは理論と演奏が難しかったからで、その分ミュージシャンにとってもハードルの高いものと言えるから、統率が必要だったのかもしれない。

 と、ここまでは恐らくどこかでも書かれている内容かもしれないので個人的な感想を。とにかく「泣き」である。表題曲「処女航海(Maiden Voyage)」の中でトランペットのフレディ・ハバードが16小節一気に吹き切るところがあるんだけれど、このフレーズが泣ける。たまに自分で口笛を吹いてみるが息が続かないから涙目になるし。多分、鼻から吸いながら口で同時に吹くという「循環ブレス」の使い手か、恐ろしい肺活量の持ち主なのだろう。というかそんな技術面はともかく、琴線に触れるこのフレーズは私のベストの一つだ。
 そしてその後、波が砕け散るようなハンコックのピアノ。出港の緊張感から凪の外洋に移り行く様が目に浮かぶようでもある。
 次の曲では緊張感みなぎるホーンのユニゾンから始まるアップテンポの「ハリケーンの目(The Eye of The Hurricane)」。トニー・ウィリアムスのドラムスは船体に叩き付ける波しぶき。緩急激しい曲調から、乗組員の緊張感が伝わってくるようだ。

 音から映像のイメージを膨らませることができるアルバムは、そうざらにない。