「がんばれ」と「がんばろう」

こないだクルマに乗ってラジオを聞いていたら、アナウンサーが震災地でのインタビューについて語っていた。その中で被災者の「がんばれって言われても俺達は仕事があれば頑張れるが、頑張れるものが全部流されちゃってないんだよ」という言葉が紹介されていた。どこぞの首相さんは避難所に訪れて「頑張って」と声をかけたらしいが、将来の道筋も示せない指導者には被災者たちのそんな冷笑しか返ってこなかったらしい。

英語表現で「がんばれ」は “Keep your best!”(ベストを保て)などと言うが、欧米圏ではスポーツの応援で「がんばれ」などと言わないそうだ。頑張っている人に「がんばれ」と軽々しく口にするのは無礼という考え方があるらしい。その土地の文化や人によって捉え方は異なるだろうが、日本の応援合戦で聞き慣れた「がんばれ」という言葉は時として人を傷つけるので注意が必要だ。実際、心療内科ではうつ病患者に対し「がんばれ」というのは禁忌な言葉で、下手に使うと追いつめて自殺に頑張られてしまうことがあるらしい。

最近は企業CMなどで「がんばろう」という言葉が使われている。日本語の文法で「がんばれ」は命令形であるが「がんばろう」は意志形(未然形)である。「がんばれ」は上から目線だが「がんばろう」には肩を並べて一緒に歩む意思が感じられる。文法を見れば納得だがうまい表現だ。広告業界に籍を置いていたときはコピーライターと飲んで「細かい奴だなぁ」と思っていたが、さすがに言葉をメシの種にしている人たちは昨今の失言政治屋とはやはり違う。でも裏方を知っているだけに余計白々しく聞こえてしまうのだけれど。

私はものすごく鈍感なので過去に自分で気づかずに他人を傷つけていることが往々にあった。また実生活でもベラベラとしゃべり続ける奴なので言葉数が多い分ボロも出やすい。なので色々と自分の発言で痛い目に遭っているので最近は慎重に話したり書いたりするよう努めている。

以前から私が気にしているのは「形容詞や横文字を極力使わない」ということ。見た目に言葉を重々しく大人びたようにするには形容詞を並び立てればいい。そこに流行りの横文字を使えばいかにも評論家っぽくなる。誰も冗談と思ってくれなかったみたいだが、以前書いたエントリーはそれを茶化したものだ。

だが逆にそれらを除いたり単純化していくと言葉の真意が見えてくる。重厚に見えた言葉もメッキが剥がれると単なる誤魔化しやお為ごかしだったりすることがバレてしまう。昔流行った「誠に遺憾に存じます」や「前向きに善処いたします」なんていうのは結局「何もしない」ことを体裁良く言ったにすぎない。言葉は行動が伴わなければ空虚なものだ。なので自分に出来ないことは何も言わずに黙ることに最近はしている。とは言っても上司に楯突くときはオブラートに包んだり、同僚に噛み付いて論破したりとあまり実現はできていないけれど。

心に残る名文は非常にシンプルなものが多い。余計な飾りつけをしないでも強い意思を持った文は心にストレートに響く(←横文字使うてるやん)。だから私は「がんばれ」や「がんばろう」などと口に出せない。それを言えるのは本当に頑張って結果を出している一握りの人たちだけだ。