苦手なG線 その2

ヴァイオリンの先生は私のレッスンの前後1時間以上、他の生徒のレッスンを入れない。いつもレッスンの倍以上の時間、雑談をしてしまう。内容は楽器や曲、音楽家にまつわる雑学や、映画、インターネット、精神医学、自然科学、恋愛沙汰、ペット事情と多岐にわたる。そうやって色々と話していると人生論になってくる。波乱万丈というわけではないが、お互い人生を不器用に生きてきたタイプ。そのためか生き方考え方が似ていて共感を得ることが多い。

ある日の先生の話も興味深かった。「逃げると後で追いかけてきて、また前にはだかってくる」という話。若い頃の先生は人間関係が嫌いで、面倒が起こるとすぐ逃げていたそうだ。交友関係を広げたり、人に指示したり、そういうのが嫌だからヴァイオリンの道に進んだらしい。だが人生の節目節目で、そうして避けてきた事が前に立ちはだかってきたそうだ。その度に逃げていたそうだが、次に来たときは前よりも手強くなってきたとの事。そのうち生活のためどうにも避けることができなくなって、ようやく覚悟を決めて立ち向かったそうだ。もちろんかなりの苦労をしたようだが、今となってはそれが人生を好転させたきっかけになったと話していた。

私も苦手なもの、面倒な事は嫌だ。避けてきたもの、わかっていても見えないフリをした事がいっぱいある。その1に書いたG線もその一つ。

G線と聞くとクラシック好きな人ならすぐ思いつくのは「G線上のアリア」だろう。バッハの管弦楽組曲第3番の中のアリアを、19世紀ドイツのヴァイオリニスト、ウィルヘルミがヴァイオリンとピアノ用に編曲したもの。今では原曲のオーケストラ演奏まで「G線の~」と呼ばれてしまっているが、本来は別物だ。

このヴァイオリン曲の特徴は、原曲のニ長調を1オクターブ以上低くしてハ長調に転調し、G線だけで弾くようにしてあるところ。最低音がGの解放弦のソ、最高音が1オクターブちょっと上のシ♭までを1本の弦だけで弾く。一番高い音でも第7ポジションの3の指(薬指)だし、テンポもゆったりなので、中級以上ならば実はそんなに難しくはない。

ところが、これをキレイな音で聞かせようとするととんでもない。前回書いたようにG線がまるで響いてくれないのだ。ロングトーンでボウイング(右腕の動き)のムラがモロに出る。左腕はヴァイオリンに回り込ませるようにぐっと曲げないとならないから、腕肩がつるしヴィブラートも安定しない。ポジション移動が多いから音程も合わない。今の私だと老婆が絞め殺されているような、不快な音にしかならない。まさに私が抱えている欠点をすべて白日の下に晒すような嫌な曲なのだ。

そんな曲を今年の発表会に選んでしまった。我ながらマゾい。しかし一昨年の発表会で弾いたバッハのおかげで、重音(二弦以上を同時に弾く)の苦手意識を克服したし(上手くなったわけではない)、私が今、越えるべき山なのだと思う。というか今逃げたら、冒頭の先生の話のように後になってさらに大きくなって立ちはだかってくるだろう。悪いフォームは年を取ってから直すのが容易ではないし、演奏に致命的な故障を起こす要因にもなる(と、メニューインの本にも書いてあった)。

だが季節の変わり目で体の節々が痛い。慣れない姿勢を強いるG線のハイポジションがキツく、長年の悪い癖を直すのに四苦八苦。ひたすら基礎からやり直している状態で、今はまだ曲をさらう以前の問題。もう、くじけそう・・・