今、私にできること

今回の震災で私の住む周辺(埼玉)や身内に直接的な被害はなかったものの、様々な影響が出始めている。工場や配送関係の一部が機能していないらしく、コンビニやスーパーで一部の商品に欠品が出ていたし、今日ガソリンスタンドの前を通りかかったら、補給のタンクローリーが来ないらしく臨時休業の貼紙がしてあった。

地震直後はここもかなり揺れて部屋の中が散らかったし、今まで経験したことのない揺れに緊張した。防災放送や緊急自動車のサイレンが遠雷のように空気を轟かし、町が異様な雰囲気に包まれていた。しかし翌日は上記以外は通常通りで、時たま余震があるものの「また来たか」程度に感覚がマヒしてしまった。

今日もテレビをつけると戦場のような悲惨な現状が映し出され、原発関係の報道では不安を煽られる。政府や電力会社役員は奥歯にものが挟まったような言い方をして何かを隠しているかのようだ。真相を突き止めようとネットにつなぎ、何度も地震情報やニュースをリロードしてしまうが、情報を集めようとすればするほど何かを見失うような感覚に襲われる。様々な憶測とデマが飛び交っている。見れば見るほど胸の中がモヤモヤしてきたのでそれらの電源を切った。

目を閉じたら高台に逃げ延びた人たちが津波に飲まれる街を見て悲鳴を上げる映像が思い出された。自分の身に置き換えるとすごく辛い。私は数日何も食えないでひもじい思いをした経験、雪中の倉庫で一夜を過ごして凍えたことや、さらにはあと一歩で死ぬところだった体験もしているので被災地の現状が痛いほどわかる。いや、私の場合は家に帰れば暖かいご飯と布団が待っていた訳で。被災地の方は帰る家さえ失い、明日食事の食える保障もないじゃないか。まるで比べ物にならない。

まず自分が今、何をできるのか自分に問うてみる。義援金を赤十字に送るか? いや、私に大金を寄付する余裕などない。災害地にバイクを走らせて何か手伝えることはないか? いや、今の仕事を放り出すわけにはいかないし、変に個人レベルで動いたら交通に支障を来たす可能性だってある。私が役に立てることなどたかが知れている。色々考えたがどれも微々たるもの。実に無力だ。

大体自分の身に降りかかっていない災害だ。自分がそこまですることないじゃないか。誰かがやってくれるさ。そう、はっきり言ってしまえば結局は対岸の火事としか映っていない。痛みがわかるなんて言葉は偽善だ。だが偽善でも何でもいいから何かできないかもう一度考えてみる。今すぐできなくても復興の手助けとなることを。

ヒントを探しに再びPCの電源を入れ、ネットを覗いてみた。登録してあるメルマガも普段はウザイほど来るのに、今日はぱったりと来ない。匿名板でも不謹慎なネタに非難が集中していたり、全体が喪に服したように重く沈んだ雰囲気。だがそんな中、1つ気になる言葉があった。出典元が見つからなかったので正確ではないと思うがこんな感じ。

「地震以来、気分が重かったけど笑って少しは明るくなったわ」

震災以来重苦しい雰囲気で、何かと言うと「非常時に不謹慎な」と言われてしまうネットの世界。しかし先の見えない不安をごまかすための逃避かもしれないが、本当にみんなが求めているのは笑いだと思う。「笑い」と言うと語弊があるので言い換えるが、今のニッポンには「明るさ」が足りないと思う。

もちろん他人を傷つけるような不謹慎なギャグは控えるべきではあるが、震災に遭った人たちを勇気付けるような元気と明るさを個人レベルから発信し続ければ、多少は元気づけられるのではないか。そして経済を潤す潤滑油として様々なものに金を使えば、巡り巡って復興の役にも立てるはず。そんな屁理屈を思いついた。とにかくニッポンを元気にするには重苦しく沈んでいる場合じゃないのだ。落ち込んでないで今できることは今やろう。

なので明日から「のほほん」と平常運転で。

今年の目標 2011

「一年の計は元旦に…」とか書こうとしたら去年も書いていた。まあ私のボキャブラリーなどたかが知れているし。2日からダラダラと過ごして年賀状もまだ書いていないが、7日までに届けばいいかと今日もダラダラ。さて去年の今頃に「Challenge」などと1年の目標を決めたわけだが、果たして実現できたのか確認してみよう。

思いついたらとにかく動いてみた。去年は十数年ぶりにヴァイオリン教室に通い始めたヴィオラにも手を出した。近隣に旨い物ありと聞けばSRXを飛ばして賞味した。ずっと数年気になっていたイトコの店にも顔を出した。ちょっとでも見てみたいと思ったら初めての場所だろうが首を突っ込んだ。絵を描くにしても長年使っていた手法を変えてみた。面倒臭がらずに集中してみた。PCが壊れたというのもあるがWindows7に移行してみた。周辺機器も買い換えた。日記の記事530件をWordPressに移行した。別のブログも立ち上げた。手を出すまいと思っていたPHPもちょこちょこいじってみた。

こう書くとエネルギー無尽蔵の超ポジティヴ野郎のように誤解されそうだが私は至って凡人である。走ると息が切れるし転べば血も出る。新しいものを試すのに余計なエネルギーが必要になる。肉体的な衰えによって体力がなくなったので、若いときのように無駄に動きたくもない。ただし私は人より欲が深い。アレもしたい、コレもしたい、もっとしたい、もっともっとしたいのである。ただ欲望に忠実に生きているだけだ。だが自分の欲しいものは誰かが持ってきてくれるんじゃなく、自分で取りにいくものだ。これ、私のン十年の人生で得た教訓。だから自分の欲望を満たすには自分が動くしか方法がない。

さすがに30代後半を過ぎた辺りで気力で何事も乗り切るには無理があることを学習したので、今では自分の体を見極めながら動くようにしている。でも去年は思いついたら明日にせず、今日腰をあげてみることを意識した。そうしたら案外自分で思うより自分の腰が重くなっていないことに気づいた。アレコレ考えてストレス溜めるより、後先考えず動いた方がスッキリすることがわかったのは発見だった。カレーが食いたいと思ったらその日にカレーを食いに行けばいい。実に単純でスッキリ。人生ってシンプルであるほど幸せだと思う。たぶん。

ただし考えて見るとたしかに挑戦(カレーは挑戦か?)はしていたが、実を結ぶことが少なかったような気がする。欲望ばかりが満たされて結果が伴っていないのだ。動くことによって確かに知識や見聞は広がったが、自分自身が何かを作り出しているかと言うと、単なる「学習」だけで終わっているような気がする。ていうかカレー食いに行っただけでやった気になってるだけやん?

いつまでも「自分探し」とか学生のような気分でいてはいけない。よって今年の目標はより踏み込んで「結果を出す」としておこう。っていいの? そんな大そうなことを言って。いいぃんですっ(カビラ的に)。どうせ口ではいくらでも言えるから風呂敷広げるなら大きくしとこう。

Web拍手レス:
お忙しいようですがマイペースでいきましょう。でも私はマイペース過ぎて年賀絵すらまだ描いていませんがorz エビオスは全国の薬局薬店にてお買い求めいただけます(違

スル・タスト/ポンティチェロ

最近、自分の行動に音楽記号を無意識につけてしまう。バイクで走っていて、徐々にスピードを落として止まるときにdim.(ディミヌエンド=だんだん弱く)。洗濯物を干す際にしわを伸ばしているときは(フェルマータ=音を伸ばす)。仕事の電話応対で意識して抑揚をつけるときは(クレッシェンド)や(デクレッシェンド)、という具合に。音楽を頭ごなしに理解しようとすると仕事や生活にまで影響が及んでしまう単純脳。

で、こないだの演奏会で他の生徒の演奏を見て思ったこと。合奏中、割とスル・タスト(sul tasto)で弾いている人が多い。スル・タストとはイタリア語で「指板の上で」という意味。ヴァイオリンの奏法の一つで弓を指板寄りに弾くこと。でも案外他の生徒と会話するとこういう用語を知らなかったりする。というか「わからないことがあったら○○さんに聞いてみれば?」という風に、ヴァイオリン教室の私のポジションがヴァイオリン博士っぽくなっている。先生まで他の生徒に「○○さんに聞けばわかるよ」と言っている始末。ああ、やっぱりここでもそうなるか…

それはともかく、ヴァイオリンなどの擦弦楽器は弓を弦のどの位置で弾くかで音色と音量が変わる。通常は駒と指板の端のちょうど真ん中あたりに弓を持って行くのだが、駒寄りに弾くと音量が大きくなるがギイギイ言い出す。これがスル・ポンティチェロ(sul ponticello)。指板に近いところだと音量が控えめでおとなしい音になる。これが前述のスル・タスト。

何故かなぁと思ったら音量が鳴らない代わりに音がぼんやりしてひっくり返らないから。おそらく本人は意識はしていないのだろうが、合奏でボウイングミスが目立たないように自然とそう弾くようになったんだろうと思う。でもみんながそれやったらさぞかし貧弱な音になりそうな気がする。自分はマトモに弾けないクセして他人の粗はすぐわかる嫌なやつ。以前もヴァイオリンの先生宅でビデオ鑑賞会をしたときに、他の生徒の重心のブレについて指摘したら先生に感心されたし。スル・タストで弾いている本人に言わないであとで先生にチクッたろ。

「巨匠」と呼ばれる著名なヴァイオリニストの演奏に触れた人たちは口々に「音がでかい」と言っているそうな。ヴァイオリンは力任せに弾いても音は大きくならない。おそらくスル・ポンティチェロ気味でも正確に弓をコントロールして音を裏返らせることなく弾いているに違いない。「ff(フォルテシモ=ごく強く)を鳴らせない者はpp(ピアニシモ=ごく弱く)も鳴らせない」という誰かの言葉を信じて最近はなるべくスル・ポンティチェロ気味で音をきれいに鳴らせるようボウイング練習をしている。だが弓の角度がちょっと斜めになると黒板をキーッて鳴らすような殺人音波になる。だから練習中、前より下手になった気がして精神上よろしくない。ていうか頭デッカチな自主練ばかりで本当に上手くなっているのだろうか…

え? あ? 今日ってクリスマス?

谷啓氏逝去で思うこと

 私はドリフ世代なのでクレイジーキャッツに関してはそんなに知っているわけではない。既にクレイジーは第一線から退いて大御所としてのポジションを確立していたから、たまにテレビに出ては往年のギャグを振りまいていたぐらい。本人たちも至ってクールで「今時こんなギャグ」みたいに苦笑いしながらやっているという印象があった。乾いた笑いとでもいうのだろうか。だから「すごい人たちだったんだろうなぁ」とは思ったけれど「ガチョーン」や「オヨビでない?」で大笑いをした記憶がない。

 私も話に聞いているだけなのだが、クレイジー全盛の時代は低俗と馬鹿にする明治・大正のオトナが多かったとのこと。人を楽しませるのに手段を選ばないスタイルだったので、人気もあったが多くの批判も浴びたようだ。だが大御所と呼ばれるようになっても、クレイジーのメンバーはCDでもコントでもドラマでも、声がかかれば仕事の選り好みはしなかったようだ。仕事に対し貪欲できっちりこなすプロフェッショナル。エンターテイナーに徹していることがブラウン管を通じても見えた。そこに私は何となく憧れと畏敬の念を抱いていた。

 恐らくクレイジーはミュージシャンとしてのアインデンティティを問われることも多かったはずだ。プライドはないのかと他のミュージシャンから言われたこともあるだろう。しかし彼らは苦悩しながらも思ったのではないか。「人を楽しませるのに手段は関係ない」と。だから彼らはエンターテイナーとしてのプロに徹し、その批判を長年かけて退けた。ドリフもラッツ&スターもクレイジーという先人がいなければ成立しなかっただろう。

 ハナ肇は後年銅像の役でいじられるのがおなじみだったが、若手芸人が粉や水をかぶせるのに躊躇すると「遠慮するな、思い切りやれ!」と怒ったそうだ。植木等は映画「無責任男」シリーズやコントなどでいい加減な人間というイメージがあったが、元々躾の厳しい坊主の息子だったので素顔は正反対。ただしカメラの回っているところやファンの前では、世間のイメージを壊さぬよう底抜けに明るい男を演じたらしい。谷啓は日本トップクラスのトロンボーン奏者という実力を持っていながら、笑いのためなら時にスライド管を飛ばすことも厭わない。だが根は真面目で後輩にも謙虚な人だったという。表から見ると節操ないように見える彼らだが、そこには仕事人としてのプライドがあった。ちょっと有名になると変なプライドばかり高くなる人間が多い芸能界では稀有な存在だったようだ。

 戦争を体験している昭和世代は、敗戦によって幼少時代からの価値観が足元からひっくり返されているせいなのか、妙に冷めているというか達観しているようなところがある。達観というか「いつダメになってもおかしくないから」という一種の諦観があるような気がする。ただし無気力というわけではない。いつ「世間がダメになってもいい」ように今を大事に生きていたのだと思う。政治も社会も信用できない、自分しか信用できないという自分至上主義があるように思える。これが後先を省みず手段を選ばず、どこへ転がっても適応できる柔軟さとしたたかさの根源である気がする。時にルールを逸脱し、すごく身勝手で嫌な奴ではあるが、だがこうした人たちが戦後復興と高度経済成長を成し遂げたことに異論を挟めない。

 戦後ようやく映画を楽しめるぐらいの余裕が出てきたときにクレイジーキャッツは現れた。そして「無責任」を謳い日本を笑い飛ばした。眉をひそめる者も多かったと聞くが、青島幸男の歌詞に元気付けられた者も多かったに違いない。サラリーマンの悲哀を時に「コツコツする奴はご苦労さん!」と茶化していたが、裏では「頑張りどころを間違えるなよ、自分を大切にしろ」というメッセージを訴えているように聞こえる。モーレツ社員を否定しながら「会社は何もしてくれない、自分を信じて前に進め」と私には聞こえてくる。実は仕事熱心だったクレイジーの生き様を重ねてしまう。

 現在、不況と将来の不安を理由に目標が定まらないという悩みは特に若年層の中で多く聞かれる。将来自分は何になりたいのか、なれる自信はあるのか、なれるように努力しているのかという問いに対して明確に答えられる人は私も含めてそういない。じゃあ戦前・戦中派が終戦直後に目標を持っていたのかと聞けば多分ほとんどが答えられないだろう。生きるのに必死でそんなこと考えられなかったと言うに違いない。「私らの時代に比べれば贅沢な悩みだよ」とか「そんなこと考えるより働け」と…

 だが平成の人間にはその言葉すらプレッシャーになる。昭和の言葉をそのまま伝えても、現在の行き過ぎた個人主義の中では本意が伝わらないだろう。私は谷啓氏が亡くなったと聞いて、一つの時代が終わったような思いがした。