企業努力は報われない

先日久々にスパゲッチーでも茹でようと袋の開いているやつを出してみたらこうなっていた。保存に便利な密閉チャック付って書いてあるやん! 親切パッケージが台無し。

密閉チャックをわざわざハサミで切り落としたり、牛乳パックを逆に開けてボロボロにしたり、詰め替え用を詰め替えずに洗濯バサミで止めて倒してこぼしたり、地デジテレビをアナログに切り替えて気づかずに観ていたりする母。注意したら「お前は細かいからストレスが溜まるんだよっ!」と逆ギレされた。

充電式掃除機のフィルター交換

2年以上前にバッテリーを自作して修理した充電式掃除機、ツインバードのジェットサイクロンQ(HC- D554)。すぐフィルターが目詰まりするのが難点だが、バッテリー電源の割に吸い込みが強くて長年愛用している。こないだメッシュフィルター(アウターフィルター)が裂けてダメになったのを瞬間接着剤(木材用)で継いで直したのだけれど、今度は布フィルター(インナーフィルター)が経年劣化でダメになった。

この布フィルターは不織布がゴム製の枠に縫い付けてあり、掃除をした後はこれを丸洗いして再生する。しかし何百回と洗ったためにいつ穴が開いてもおかしくないほど生地が薄くなってきた。ツインバードのサイトで補修部品として売っているのは知っていたが、このぐらいだったら自分で直してしまいたい。材料は洗濯機のゴミ取りフィルターの汎用品と裁縫用の絹糸。ジーンズですら手縫いする私なので普通に裁縫針で手縫いしてみる(ミシンは持ってない上に苦手)。

1枚では細かいホコリをこし切れなさそうだったので2枚重ねに。新たに穴を開けるとゴムが弱くなりそうなので元の針穴に通して縫い付ける。元々はミシンを使い裏表2本糸でスキマなく縫い付けられてあった。でも手縫いでは1本糸のためそこからホコリが侵入してフィルターの意味を成さない可能性がある。したがってステッチを返して2周縫い。直径10センチ程度のものとはいえかなり面倒。

ようやく縫い終わってはみ出した部分をハサミで切り落として完了。早速部屋を掃除してフィルターの状態を見てみたが、しっかり細かなホコリもキャッチしているようだ。ああ、スッキリ。これであと2年は戦える。

しかし、あとでツインバードのサイトを確認してみたら、この布フィルターはたったの420円。送料が630円かかるとはいえ、私の手間を考えたら全然安くないか? でもまあこうしてブログのネタになるからいいか。

がんばらない

色々とやることが滞っているのだが、歳を取ったせいか季節の変わり目になると体の節々が痛んだり疲れが取れなかったりで何もできない。無理やり頑張ればできないこともないのだけれど、あとの反動が大きいのでそういう日は猫を抱いて寝てしまうことにしている。

「頑張んなきゃ」と自分を追い詰めると余計に疲労が蓄積するから、疲れたときは寝るのが一番。とか言いつつ休みすぎだな…

「がんばれ」と「がんばろう」

こないだクルマに乗ってラジオを聞いていたら、アナウンサーが震災地でのインタビューについて語っていた。その中で被災者の「がんばれって言われても俺達は仕事があれば頑張れるが、頑張れるものが全部流されちゃってないんだよ」という言葉が紹介されていた。どこぞの首相さんは避難所に訪れて「頑張って」と声をかけたらしいが、将来の道筋も示せない指導者には被災者たちのそんな冷笑しか返ってこなかったらしい。

英語表現で「がんばれ」は “Keep your best!”(ベストを保て)などと言うが、欧米圏ではスポーツの応援で「がんばれ」などと言わないそうだ。頑張っている人に「がんばれ」と軽々しく口にするのは無礼という考え方があるらしい。その土地の文化や人によって捉え方は異なるだろうが、日本の応援合戦で聞き慣れた「がんばれ」という言葉は時として人を傷つけるので注意が必要だ。実際、心療内科ではうつ病患者に対し「がんばれ」というのは禁忌な言葉で、下手に使うと追いつめて自殺に頑張られてしまうことがあるらしい。

最近は企業CMなどで「がんばろう」という言葉が使われている。日本語の文法で「がんばれ」は命令形であるが「がんばろう」は意志形(未然形)である。「がんばれ」は上から目線だが「がんばろう」には肩を並べて一緒に歩む意思が感じられる。文法を見れば納得だがうまい表現だ。広告業界に籍を置いていたときはコピーライターと飲んで「細かい奴だなぁ」と思っていたが、さすがに言葉をメシの種にしている人たちは昨今の失言政治屋とはやはり違う。でも裏方を知っているだけに余計白々しく聞こえてしまうのだけれど。

私はものすごく鈍感なので過去に自分で気づかずに他人を傷つけていることが往々にあった。また実生活でもベラベラとしゃべり続ける奴なので言葉数が多い分ボロも出やすい。なので色々と自分の発言で痛い目に遭っているので最近は慎重に話したり書いたりするよう努めている。

以前から私が気にしているのは「形容詞や横文字を極力使わない」ということ。見た目に言葉を重々しく大人びたようにするには形容詞を並び立てればいい。そこに流行りの横文字を使えばいかにも評論家っぽくなる。誰も冗談と思ってくれなかったみたいだが、以前書いたエントリーはそれを茶化したものだ。

だが逆にそれらを除いたり単純化していくと言葉の真意が見えてくる。重厚に見えた言葉もメッキが剥がれると単なる誤魔化しやお為ごかしだったりすることがバレてしまう。昔流行った「誠に遺憾に存じます」や「前向きに善処いたします」なんていうのは結局「何もしない」ことを体裁良く言ったにすぎない。言葉は行動が伴わなければ空虚なものだ。なので自分に出来ないことは何も言わずに黙ることに最近はしている。とは言っても上司に楯突くときはオブラートに包んだり、同僚に噛み付いて論破したりとあまり実現はできていないけれど。

心に残る名文は非常にシンプルなものが多い。余計な飾りつけをしないでも強い意思を持った文は心にストレートに響く(←横文字使うてるやん)。だから私は「がんばれ」や「がんばろう」などと口に出せない。それを言えるのは本当に頑張って結果を出している一握りの人たちだけだ。