まいったなぁ

 なんか寝床に入ったが寝れない…すっかり夜型になってしまった。ていうか明日は朝から仕事なんだが。仰向けの状態で iBook を垂直に立ててカキコ。ぬこが上に乗って重い。

 明日は会社の新聞を作らないといけない。顧客に配るやつで発行部数300枚。しかし、今回も上司がネタを考えるのを放棄しているので、こっちで内容も全部考えないといけない。小ネタは思いつくのだがメインの記事が思い浮かばない(いや、どうせA4ペラのボリュームだが)。どうしようと思うとまた寝れない。

 というか新聞を作るのにハナっから取材、記事・コピー作成、編集・紙面構成、写真撮影、イラスト、デザイン、データ作成(Illustrator)、印刷(モノクロレーザ出力)の全部を1人でやっているのっておかしくないかい? あと社内電話回線のケーブル引き回しとPCの全般サポートと蛍光灯の取り替えとドアノブの建て付け調整と…

 …ハッ! いいように使われている?

オフ会に思ふ

 昨日は某掲示板のオフ会。一応私が主催者ではあるが、その掲示板の運営をしているわけでないし、さらにはそこが休止状態にあったりする。人数が集まらないので今回は正直盛り上がらないかなーと心配していたけれど杞憂だった。久しぶりに楽しいひと時を過ごせたし、また名残惜しいという感情も久々に感じた。

 今、同人を一緒にやっている相方がいるのだけれど、彼とも某チャットで知り合った、純粋にネットだけで知り合った関係である。毎晩のように打ち合わせと称してバカ話をするのだが、実際は距離にして直線距離でも600kmは離れている。もう今ではお互いの住所や本名、趣味嗜好も知り尽くしているが、実際に会ったのは1回だけ。それでも僅かだが同人の収入をシェアし、ビジネスとまでは行かなくとも「仕事」を一緒に進めている信頼できるパートナーだ。

 ネットを介したハンドルネームだけでのやりとり。テレビのワイドショーなどで取り上げられると、オバさんが「なんか怖いわねー」と茶の間で煎餅かじりながらつぶやきそうな関係。ウチの親に話してもそんなリアクションだった。最近はネット絡みの犯罪や自殺が増えているし、実際あぶないところもないわけではない。犯罪とまで行かなくても、オフ会と称してカルト宗教やマルチ商法の勧誘だったりすることも少なくないので気は許せない。

 ただネットに限らず、最近はどこに行っても人間を信用できないことが多くなってきた。昔だったら悪いことをすれば知らない子供でも叱る人がいた。今、そんなことをしたら変質者扱いだ。どこか待合室で知らない人に声をかけられると、たとえその人が年配の優しそうな人でもビクッと身構えてしまう。街中で人に目を合わせると因縁をつけられる可能性があるからどうしても下を向いて歩くクセがつく。混んだ電車じゃ痴漢に間違えられないように吊り革を両手で持つ。もう最近は人ごみを歩くだけで気疲れしてしまう。ていうか私が気を遣いすぎなのか?

 ネットだけを悪者にするのは簡単だが、実際は単なるコミュニケーションツールに過ぎない。ハガキ1枚も架空請求の道具に、電話だって振り込め詐欺の道具になる。テレビラジオや新聞の報道だって間違えれば人が傷つく。回線の向こうには人間がいる。善良な人も悪人もいる。ただ単純に世の中悪人が増えたところにネットが普及してきたに過ぎない。いや、悪人という表現は適切でない。善悪を自分で見極められずに他人に責任を転嫁する人といった方がいい。経済が悪い、社会が悪い、政治家が悪い、企業が悪い、親が悪い、教師が悪い、システムが悪い、ネットが悪い…自己責任を持つことを放棄した人が犯罪者に限らず多くなった気がする。そしてネットに限らず、相手を何か機械のようにしか思っていない、他人をまったく気にかけない人が。結局、そういう人たちに何を持たせても凶器にしかならない。ハサミだろうが千枚通しだろうが素手だろうが言葉だろうが…

 そんな世の中でも、私は人を信用するのを放棄したくないのですよ。騙されたくはないけれど、騙すよりは騙された方がマシ。やりたいことを我慢して後悔するより、やってから後悔したい。トラブルに巻き込まれることがあっても「知らない人」とどんどん触れ合って、気の合う仲間を見つけたい。

 そんなわけで今回、波長の合う人と会話ができるのがうれしかったわけです。また私を信用して集まってくれたことも。

 まだまだ世の中捨てたもんじゃない!

木蓮

 モクレンが好きだ。葉もついていない裸の木から変にデカイ花がポコポコ生えてるのがバカっぽくて。よく見ると名の由来である蓮の花のような優雅さがないでもないが、基本バカだ。ようやく他の植物が新芽を吹き始め、まだ寒々とした風景の中、バカみたいに大量の白い花をつけている。まるで幼稚園のお遊戯会のちり紙の造花並みにありがたみがない。厳しい冬を耐え、光合成もままならないのに、昨年蓄えた生命力を開花で一気に使い果たす。でもそんな素振りも見せないバカっぷり。私もそんな生命をかけたバカになりたい。

 いつかは庭に植えたい1本。ヤフオクで探すか…

英語脳

 最近、仕事に追われることがなくなったので(というか今、夜勤中なのだが)色々と創作活動をする余裕ができた。そんなこんなで、近年まれに見る活発な動きを見せる mezzo なのです。

 HTML や JavaScript、Perl など昔いじってたものを久々にいじったり、海外の友人に英語でコメント書いたり、ひたすらヴァイオリンをキコキコかき鳴らしたり、PC で作曲したり秘密裏に絵を描きまくったり(ここで公開できないが)。なんかシナプスがアタマの奥底に眠っていた脳細胞をビキビキッと音を立てて刺激している感じ。昔の私を知る友人なら「あの、何にでも見境なく手を出す mezzo が復活したか」と漏らすに違いない。

 そんなわけで今はちまちまと英語ページの制作の準備に取り掛かっている。日本のサイトは日本語だけで公開されていることが多いので、閉鎖的と思われることが多い。そう、外国の人はまさか日本人が英語ができないわけがないと思っているからだ。文●科学省と日●組のすばらかしい教育の成果なんて知る由もないのである。でもそんなことで諸外国から誤解を受けたりするのはまっぴら御免。反骨精神(ていうか単にアマノジャク)な私が英語ページを作らないわけにはいかないのだ。

 だが私自身、英語に関して特別な教育を受けているわけではない。N●VA の体験入学には行ってみたが、ビンボーが災いして未だ通うには至っていない。いや、高額な英会話教材はハッタリで売りつけたことはあるけれど(実話)。したがってひたすら独学とカンのみで英文を書くにすぎない。もちろん、マトモに会話など出来るはずがない。

 とはいえ慣れというのは恐ろしいもので、以前 PC の辞書ソフトを使いながらだけれど、英文でチャットして、何とかリアルタイムにコミュニケーションを取れるレベルにまで達したことがある(たぶん)。頭に思い浮かべたことが、単純なことならすぐにセンテンスに変換してキーボードを叩けたのだから自分でも驚いたものだ。

 しかし、小林克也氏も以前言っていたのだが、数年離れてしまうとそのカンが全く鈍って、相手が何を言っているのかも理解できなくなる。というかアルファベットの羅列にしか見えない。自分で思い浮かべたことも、単語に変換はできても「文」にならない。で、色々いじっているうちに思い出した。日本語→英語変換を頭の中で無意識に行っていたのが原因なのだ。つまり日本語を英訳するという作業になってしまっていたから、英語がすんなり出てこないのである。

 コトバを話すのに、普通「訳す」ことはしない。頭に思い浮かべたことを「日本語」で考える。だからそのまま日本語で話せるわけである。英語で話すときも一緒だ。「英語」で考えればいい。いちいち日本語で言い回しを考えて訳すからワケがわからなくなっていたのだ。「何があったんだい?」というのを英語に訳そうとして「何」「あった」「だい?」を英単語に変換して必死に文につなげようとするからいけないのだ。洋楽の歌詞で聞いて口癖になった「What’s going on?」と書けばいい。「誰も知らないよ」なら「Nobody knows.」。「一体全体どうしてそんなことするんだい?」と言いたければ、肩をすくめて両手広げ「Why on earth do you behave so?」と困惑した顔をすればいい。

 などと書いたが、時の流れとは恐ろしいもので、以前蓄積されたセンテンスや単語をすっかり忘れているのである。英語で考える以前の問題だったりするのだ。英語ページ公開への道のりはまだまだ遠い…