最近、仕事に追われることがなくなったので(というか今、夜勤中なのだが)色々と創作活動をする余裕ができた。そんなこんなで、近年まれに見る活発な動きを見せる mezzo なのです。

 HTML や JavaScript、Perl など昔いじってたものを久々にいじったり、海外の友人に英語でコメント書いたり、ひたすらヴァイオリンをキコキコかき鳴らしたり、PC で作曲したり秘密裏に絵を描きまくったり(ここで公開できないが)。なんかシナプスがアタマの奥底に眠っていた脳細胞をビキビキッと音を立てて刺激している感じ。昔の私を知る友人なら「あの、何にでも見境なく手を出す mezzo が復活したか」と漏らすに違いない。

 そんなわけで今はちまちまと英語ページの制作の準備に取り掛かっている。日本のサイトは日本語だけで公開されていることが多いので、閉鎖的と思われることが多い。そう、外国の人はまさか日本人が英語ができないわけがないと思っているからだ。文●科学省と日●組のすばらかしい教育の成果なんて知る由もないのである。でもそんなことで諸外国から誤解を受けたりするのはまっぴら御免。反骨精神(ていうか単にアマノジャク)な私が英語ページを作らないわけにはいかないのだ。

 だが私自身、英語に関して特別な教育を受けているわけではない。N●VA の体験入学には行ってみたが、ビンボーが災いして未だ通うには至っていない。いや、高額な英会話教材はハッタリで売りつけたことはあるけれど(実話)。したがってひたすら独学とカンのみで英文を書くにすぎない。もちろん、マトモに会話など出来るはずがない。

 とはいえ慣れというのは恐ろしいもので、以前 PC の辞書ソフトを使いながらだけれど、英文でチャットして、何とかリアルタイムにコミュニケーションを取れるレベルにまで達したことがある(たぶん)。頭に思い浮かべたことが、単純なことならすぐにセンテンスに変換してキーボードを叩けたのだから自分でも驚いたものだ。

 しかし、小林克也氏も以前言っていたのだが、数年離れてしまうとそのカンが全く鈍って、相手が何を言っているのかも理解できなくなる。というかアルファベットの羅列にしか見えない。自分で思い浮かべたことも、単語に変換はできても「文」にならない。で、色々いじっているうちに思い出した。日本語→英語変換を頭の中で無意識に行っていたのが原因なのだ。つまり日本語を英訳するという作業になってしまっていたから、英語がすんなり出てこないのである。

 コトバを話すのに、普通「訳す」ことはしない。頭に思い浮かべたことを「日本語」で考える。だからそのまま日本語で話せるわけである。英語で話すときも一緒だ。「英語」で考えればいい。いちいち日本語で言い回しを考えて訳すからワケがわからなくなっていたのだ。「何があったんだい?」というのを英語に訳そうとして「何」「あった」「だい?」を英単語に変換して必死に文につなげようとするからいけないのだ。洋楽の歌詞で聞いて口癖になった「What’s going on?」と書けばいい。「誰も知らないよ」なら「Nobody knows.」。「一体全体どうしてそんなことするんだい?」と言いたければ、肩をすくめて両手広げ「Why on earth do you behave so?」と困惑した顔をすればいい。

 などと書いたが、時の流れとは恐ろしいもので、以前蓄積されたセンテンスや単語をすっかり忘れているのである。英語で考える以前の問題だったりするのだ。英語ページ公開への道のりはまだまだ遠い…

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