13年23年

この記事はただのおっさんの愚痴というか、頭の中でスパゲッティ状態の記憶を解きほぐすデフラグみたいなものなので、積極的に読むことはおすすめしません。まあ私の備忘録代わりのブログだから好きに書かせろ(開き直り)。

本サイトの mezzo.jp は 2012年から完全放置状態。かろうじて断続的に続いている拙ブログは2008年に始めたのでもう13年経った。ホームページ開設から数えると、Dion(現・au one net )の無料スペースに作ったのが1998年なので23年。道理でおっさんになっているわけだ…

私が初めてパソコン(富士通 FM-V、Windows 95)を買ってネットにモデムでピーヒャロ~ピロピロ~と繋いでいた頃はまだ「パソコン通信」があった。Nifty サーブは「初心者なので教えてください」なんて書くと存在を無視される、とても紳士的な所だった。フォーラムには通信料節約のため、こんな風に半角カタカナを使うという暗黙のルールがあったりして、しばらくROMって空気読むのに必死だった。

でも顔も知らない他人とそんな面倒な情報交換をするより、承認欲求を満たしたかった。その頃は Twitter も Facebook も Instagram も YouTube も、ましてや Mixi すらもなかったから自分でホームページを開設しようと決意。

当時ホームページを作ると言ったら IBM ホームページビルダーが主流。でも私はペンタブやスキャナなど、周辺機器を揃えたらソフトが買えなくなったので、 Windows メモ帳で HTML を直接打ってホームページを作った。最初は友人から「クソ重い」と酷評され、Undo も知らず打ち間違えたら BackSpace して最初から打ち直すとかしていた。

2002年のファイル、ちゃんと残ってたw

お遊びで始めたホームページ制作をしばらくは楽しんでいたのだが、数か月後に仕事で腰を壊してしまい、半年ほど床から起き上がれなくなってしまった。働くどころか外出もできず退職。晴れてニートに。

働けないとみじめになるので、慰めにひたすら HTML と、友人から譲り受けた古い Photoshop をいじり倒した。元来凝り性だし、とにかく何かしていないと不安だったから、気分と腰の痛みを紛らわすため、PC デスクに寄りかかってキーボードを叩きまくった。どんどんページが増え、打ち込み(DTM)にも挑戦して MIDI も作った。海外の無料サーバーに英語だけの裏サイトまで作ったりもした(こっちはそこそこ有名になった)。数か月も経つと HTML はすべてマスターし、テーブルタグでレイアウトを組めるまでになっていた。

2004年頃、ジャンクだらけ。

何とか腰の痛みが和らいできて外に出られるようになると、この PC スキルが役立って、PC サポートの仕事に就けた。仕事でさらに Office 系ソフトやハードウェアのスキルも身についた。知識と興味を満たすため、毎週のようにアキバでジャンクパーツを漁り、部屋中がパソコンと関連書物だらけになっていった。

いつしか都心の老舗デザイン会社にスカウトされるほど、Web 制作で飯を食えるぐらいスキルが上がっていた。憧れの職場で仕事しながら Flash も DTP も覚え、Web でも紙でもデザインできるようになった。

だが紺屋の白袴で自分のサイトの更新は完全に止まってしまった。これではイカンと思い、2001年にドメインを取得。でも数年は「Under Construction(工事中)」と表示したまま、手を付けられなかった。

それどころか、出来ることが多くなると仕事が増え、泊まり込みや徹夜が多くなった。職場の床に段ボールを敷いて、JAVA 辞典を枕にする日が週2、週3と増えてきた。横になって目を閉じても瞼裏にコードがシャーッと走るので、バーボンを瓶から直接口に流し込んで意識を失わせた。朝になったら栄養ドリンクとインスタントコーヒー、両切ピースで無理やり目を覚ました。

だが数年そんな生活を繰り返していたら肝臓を壊し、最終的には精神も壊れた。結局その会社も退職。憧れの職場からドロップアウトした喪失感で心に穴は開いた。しばらくリハビリしていたら体は元気になったので、PC サポートの仕事を再開した。

今度は時間ができたので UNIX 系 OS に手を出して自宅サーバーを立てた。Perl を覚え、一時は自作プログラムを設置して匿名掲示板を運営した。

NetBSD で構築した自宅サーバー「クララ」のトップページ。

屋根裏までLAN ケーブルを敷きまくり、必要もないのに十数台の PC に Windows、漢字 Talk 7.5~MacOS X、Linux、BSD が混在し、部屋中ルーターやハブ、ネットワークドライブ、プリンタバッファーが本とCDの隙間を埋め尽くした。カオスだった。

2005年頃、時には人ン家の Wi-Fi も盗んだ。

しかし一度ぽっかりと空いてしまった穴はジャンクパーツで埋められなかった。親の借金返済のためもあったが、PC から離れたくなって今度はトラック運転手に転職。我ながら無茶苦茶だ。

それでも Web から離れると禁断症状に見舞われるようになった。結局アキバのジャンク品 PowerBook 5300c を大型トラックに積み始め、ガラケーや京ぽん(京セラ製 PHS)につなげて匿名掲示板に毒を吐いていた。しかし結局フラストレーションが解消しなかった。むしろ長距離で家にほとんど帰れないのがストレスになってトラックから降りた。

また別の PC 出張サポートの仕事に就いた。しかし今度は何をしても上手くいかなくなっていた。どうやら色々好き勝手ドロップアウトしまくったおかげで、自分が社会的に価値のないポンコツになっていたことに気が付いた。結局またこの会社も数年で退職した。

たまに過去記事を読み返すと、この頃の感情がよみがえってくる。時には布団をかぶって泣きたくなることもあるが、悪い思い出も今の自分を構成するエレメント。あえてそのまま置いておく。

そこから今の会社に非正規で入ったのだが、もう仕事では自分のスキルは封印することにした。もう頑張らない、省エネに平穏平凡に生きようと決めた。

なのに深夜勤務中の空き時間に人工無能や Android アプリを作ったり、ドメインを取得したりしていた。どうにも力加減ができないらしい。

そのうち本社に呼ばれネクタイ締めて WordPress のサイト構築とか、Adobe CC で印刷物や動画作ったり、MS Access で VBA をいじり倒していた。結局、なんだかんだスキル全開どころか、さらにスキルアップが加速。このまま極力出世せずに定年を迎えようと思っていたが、昨年とうとう我慢ならずまたドロップアウト。我ながらバカだなぁ。

さて、また未来が見えなくなってしまった。求職活動中に退職金使い切っちゃったし、今も収入ギリギリ。住宅ローンもあるから正直不安しかない。でも同人活動再開したり気楽にバイオリン弾く余裕が出てきたので、案外これはこれでいいかなと思っている自分がいたりする。

下向いて歩いたってしゃーない。見ろよ青い空、白い雲。私の座右の銘「そのうち何とかなるだろう」(クレイジーキャッツ「だまって俺についてこい」青島幸男作詞より)で行こう。

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