私は都市として機能するために最低限の整備はむしろ必要だと思っている。なので環境破壊だのを声高に叫ぶ気はない。だいたい人間が作ったものなんてたかが知れている。ちょっと気を抜けば自然は容赦なく人間の望む秩序を穏やかに壊しながら忍び寄る。野生動物のように生きたくなければ、自然を壊し、自然に抗い続けなければならない。

無尽蔵にエネルギーを地球に注ぎ続けているように見える太陽にも寿命がある。宇宙のスパンで考えれば地球は滅びる。そのずっと前には人間だって滅びるだろう。地球上の生物がすべて死滅しようが、地球がなくなろうがそれもまた自然。かつて大気や水があったと言われる火星は、誰かが滅ぼしたのではなく自然にそうなったのだから。人間にとって都合のいい緑豊かで温暖な環境なんていうのはほんの一刹那。何光年も先の星の瞬きのようなもの。

そんな宇宙規模で考えれば僅かな時間でも、我々はそんな都合のいい自然をできるだけ長く保つ必要がある。それに我々が生活できる場所なんて地球規模で考えると僅かなスペースしかない。ほとんどが海と荒地と危険地帯。人類なんて地球上の薄皮一枚で生かされているに過ぎない。だから一部のエゴイストのためにその生活圏の寿命を縮めたり、狭めてはならない。

有島武郎は言った。

人間というものは、生きるためには、いやでも死のそば近くまで行かなければならないのだ。いわば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見すまして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げて来なければならないのだ。死は知らんふりをしてそれを見やっている。人間は奪い取って来た生をたしなみながらしゃぶるけれども、ほどなくその生はまた尽きて行く。

─ 「生まれいずる悩み」より

人間は自然から何かを奪わないと生きていけない動物。私も含め誰もが自らが生きるために何かを傷つけ続けている当事者なのだから。それを無視して論じることは、もっともらしい理屈をこねて正義を騙っているだけに過ぎない。経済活動優先のエコノミストも環境保護に手段を選ばないエコロジストも結局はエゴイスト。多くを求めれば必ず誰かが犠牲にならなくてはならない。それは地球だとか野生動物だとか漠然としたものじゃなく、もっと身近な人間であったりする。

人間は誰しも生き続けるために自分たちの生活圏を少しずつ壊している。ならば多くを求めずに最小限必要なものだけをかすめ取り、余裕ができたときにこっそり返しておけばいい。そうしておけば自分たちの子孫に何かを遺すことができるはず。だが盗んだまま返さない泥棒が今の世の中多すぎる。いや盗むだけじゃない、自分の粗相の後始末すらできていない。そいう奴らはどうやら子孫にその片付けを任せる気でいるらしい。

まあその手の奴らは何を言っても反省はしない。自分の生きている間だけ自分が幸せならばいいのだから。そういう奴らは地獄に堕ちて放射能の業火に焼かれながら45億回死ね、と思って溜飲を下げている。

…ん? 別に疲れてなんかないですよ?

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