PC239963え、今さら? と思う向きもあるだろうが、下書きのまま放置して忘れていたのを公開。誰が読む訳でない毎年恒例の目標について。

その前に昨年の目標を振り返って確認してみる。ちなみに2014年
「引き算を覚える」だった。「サボれるところはサボる。昔ほど無理が利かなくなった分、仕事以外に回すエネルギーを温存するようにしたい」などと書いていた。

まずチェロ奏者の林裕さんからグラフィックの仕事を頂いたこと。私は今までネット上で仕事の募集はしていないが、何度か仕事の依頼が来たことがあった。いつもだとお断りしているのだが、この時は面白そうだったのでお請けした。本業その他のことも同時進行でキツかったが、喜んでいただけたのでよかった。

あとヴァイオリン初心者卒業宣言。もちろんまだまだ人に聞かせられるような腕ではないが、以前だったら「無理無理」と思っていた曲でも「ちょっと背伸びすれば手が届きそう」という自信がついてきた。

昨年はツーリングも多く行ったし、何より大型自動二輪免許を取得した。憧れの大型バイクも購入した。

さて昨年を振り返ってみたが何のことはない、マイナスを引き算してプラスになっているじゃないか。結局ウヤムヤにしていた大きなことは先送りにしていたし。まあ結果オーライなので良いか。

では2015年、今年の目標を決めてみた。

「普通になる」

で行こうと思う。ずいぶんと後ろ向きというか、目標にすらなっていないような。しかし一応私が今まで意識していなかったことをやろうとしているので、自分にとっては難しいことだと思っている。

よく聞く「普通」って何だろう。そんな割とどうでもよさそうな疑問が昨年秋ぐらいから頭の中で巡っていた。自分の頭の中で想像している普通って、意外とハードルが高い気がしたのだ。

まず「普通」は平均値を指す言葉として、生活水準や能力などを測る基準値のように使われている。しかしこないだニュースで「1%の富裕層、世界の富の半分を保有へ – CNN」というのがあった。直感的に誰もが抱いていた「普通」は幻影であり、庶民の平均値はずっと下だったということらしい。

また「ありふれた」「人並みな」「珍しくない」「どこにでもあるような」という形容詞的な「普通」も、嗜好や生活スタイルも多種多様となり、最近は避けられるような時代になった。

私はだいぶ前から人並みなことをあえて避けて通っていたような所があって、ソツなくこなすよりトコトンやるか手を抜くかのどっちかにしていた気がする。極端なのが好きというのもあるが、全部に気を遣ったら疲れるというのもあって、あえてだらしない所を残しておいた。その最たるものが生活習慣で、衣食住に思いっきり手を抜いてきた。

そうやって凹んだ部分は突出した能力で補えば人に認められてもらえる。仕事さえできていれば誰も文句は言えまい。そう思っていた。だがそんなのは甘えだと思うようになってきた。やはり凹んだ部分は極力少なくした方がいい。よし、「普通」を目指そう

ということで実は昨年あたりから意識して服などはちゃんと買うようになった。さて、あと残りのか・・・

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