昨日はクリスマスの演奏会に合わせたレッスン。バッハのG線上のアリアのリズムパートもヴァイオリンで合奏することになった。譜面自体はほとんど4分音符なので、ニ長調の#2つと臨時記号にさえ気をつければ割と簡単。だが先生が第1ヴァイオリンを弾いて一緒に合奏したらまるでタイミングが合わない。正確なリズムを刻もうとするとどんどん乖離する。おかしい。

実を言うとこれは先生がズレていた。早いパッセージの複雑なフレーズ、つまり「歌う」部分のあとがわざとディレイ(遅延)されていたのだ。次の小節が始まるのにコンマ何秒か遅れが生じ、その遅れを取り戻すためにその小節を早送りにして元のリズムに戻す。竹や柳のようなものをブンブンと振ってリズムを取って、時折多めに反らせて勢いよくビュンと戻すような感覚。時間軸のシーケンスは正しくないが、音楽のリズムとしてはこれが正しいそうだ。先生に「相手の弓の溜めを見計らってから、次の小節を弾き初めなさい」と言われ、戸惑いながらも注意深く音を聞きながらタイミングを合わせるとなるほど、心地の良い音が鳴り始めた。ゆらぎというか、ゆっくりと深呼吸をするような。演奏する側は神経を研ぎ澄まさなければいけないけれど、音は湖上の小舟で昼寝をするようにゆったりと聞こえるようになった。どうやらカノンに比べ、G線上のアリアは相手の演奏を聴き取りながらフィードバックするというスキルを要求するようだ。

機械ではこうはいかない。練習用の音確認にスコアをPCで打ち込むことがあるが、ベタ打ちだと正確すぎて逆に違和感を感じてしまう。一応数値的に微調整がいくらでも効くので人間らしい演奏を再現することも可能だが、そのためには人間のゆらぎの感覚を数値に置き換えなくてはならない。一時期流行った「1/fゆらぎ」とか「ファジー」というやつだ。だがそれを方程式的にやれば「音楽」として成り立つわけではない。人間がファジー過ぎるからだ。実際演奏者というのはその日の気分やその場の空気でいくらでもテンポや間合いを変えてしまう。ジャズなどは即興音楽なのでその最たるものではあるが、クラシックだって演奏するたびに実は違っている。なので機械がどう進化しようが、聴く側が人間であれば結局人間が微調整を施さないとならない。

以前ラジオでDJが「カセットテープがなくなってバンドのデモテープにグルーブ感がなくなった」という話をしていた。機械的なことを言うとそれはモーターの回転ムラやテープ、駆動ベルトのブレに起因するワウ・フラッターという現象で、再生音が劣化しているに過ぎない。しかし、そのゆらぎが人間にとって心地の良い音に聞こえてしまうこともあるということらしい。実際「グルーブ」という言葉はレコードの「溝」が語源で、音声を原始的なハードウェアに置き換えたが故の劣化再生音のこと。しかし、その45回転や33と1/3回転のうねりが何ともいえないドライヴ感を生み出して踊りだしたくなるようなリズムを生み出すらしい。音楽理論自体は数学的ではあるが、実際のところなぜ長調に比べて短調はもの悲しく聞こえるのかとか、よくわかっていないことも多い。劣化音声が必ずしも人に安らぎや感動を与えるというわけではないが、人の心に訴えかけるには時には正確な数字から離れなくてはいけないようだ。

その昔、ジャズを聴き始めた頃にセロニアス・モンクのピアノソロを理解しようと何度も繰り返して聴いていたことがある。調子っ外れでリズムがもたついたり早くなったり、どう聴いても下手糞にしか聞こえないモンクがなぜジャズの巨人の一人に数えられるのか解らなかったからだ。試しにリズムが遅れたところでカウントを始めてみたところ、何小節か先で元のリズムに戻っていることを発見した。偶然ではなく何度も遅れたり戻ったりを繰り返している。この人はわざとこれをやっているのだ。それが解ったことで背筋がゾクゾクッとした。しまいにゃ涙まで出てきた。

私のベスト盤の一つにセロニアス・モンクのブリリアント・コーナーズがある。ソニー・ロリンズなどのメンバーが連ねているセッションなのだが真剣に聴くと緊張感がハンパない。リーダーのモンクが叩き出す「キョキョキョキョン」という短二度のフレーズから、他のメンバーが真剣に彼の音を読み取って演奏にフィードバックしようという空気がビンビンに伝わってくる鳥肌もののアルバム。私もごく稀にしかターンテーブルに乗せないアルバムなのだが、こないだのレッスンで久々にその空気を感じてみたくなった。

…あれ? どこにしまったか見つかんないや。

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