私はドリフ世代なのでクレイジーキャッツに関してはそんなに知っているわけではない。既にクレイジーは第一線から退いて大御所としてのポジションを確立していたから、たまにテレビに出ては往年のギャグを振りまいていたぐらい。本人たちも至ってクールで「今時こんなギャグ」みたいに苦笑いしながらやっているという印象があった。乾いた笑いとでもいうのだろうか。だから「すごい人たちだったんだろうなぁ」とは思ったけれど「ガチョーン」や「オヨビでない?」で大笑いをした記憶がない。
私も話に聞いているだけなのだが、クレイジー全盛の時代は低俗と馬鹿にする明治・大正のオトナが多かったとのこと。人を楽しませるのに手段を選ばないスタイルだったので、人気もあったが多くの批判も浴びたようだ。だが大御所と呼ばれるようになっても、クレイジーのメンバーはCDでもコントでもドラマでも、声がかかれば仕事の選り好みはしなかったようだ。仕事に対し貪欲できっちりこなすプロフェッショナル。エンターテイナーに徹していることがブラウン管を通じても見えた。そこに私は何となく憧れと畏敬の念を抱いていた。
恐らくクレイジーはミュージシャンとしてのアインデンティティを問われることも多かったはずだ。プライドはないのかと他のミュージシャンから言われたこともあるだろう。しかし彼らは苦悩しながらも思ったのではないか。「人を楽しませるのに手段は関係ない」と。だから彼らはエンターテイナーとしてのプロに徹し、その批判を長年かけて退けた。ドリフもラッツ&スターもクレイジーという先人がいなければ成立しなかっただろう。
ハナ肇は後年銅像の役でいじられるのがおなじみだったが、若手芸人が粉や水をかぶせるのに躊躇すると「遠慮するな、思い切りやれ!」と怒ったそうだ。植木等は映画「無責任男」シリーズやコントなどでいい加減な人間というイメージがあったが、元々躾の厳しい坊主の息子だったので素顔は正反対。ただしカメラの回っているところやファンの前では、世間のイメージを壊さぬよう底抜けに明るい男を演じたらしい。谷啓は日本トップクラスのトロンボーン奏者という実力を持っていながら、笑いのためなら時にスライド管を飛ばすことも厭わない。だが根は真面目で後輩にも謙虚な人だったという。表から見ると節操ないように見える彼らだが、そこには仕事人としてのプライドがあった。ちょっと有名になると変なプライドばかり高くなる人間が多い芸能界では稀有な存在だったようだ。
戦争を体験している昭和世代は、敗戦によって幼少時代からの価値観が足元からひっくり返されているせいなのか、妙に冷めているというか達観しているようなところがある。達観というか「いつダメになってもおかしくないから」という一種の諦観があるような気がする。ただし無気力というわけではない。いつ「世間がダメになってもいい」ように今を大事に生きていたのだと思う。政治も社会も信用できない、自分しか信用できないという自分至上主義があるように思える。これが後先を省みず手段を選ばず、どこへ転がっても適応できる柔軟さとしたたかさの根源である気がする。時にルールを逸脱し、すごく身勝手で嫌な奴ではあるが、だがこうした人たちが戦後復興と高度経済成長を成し遂げたことに異論を挟めない。
戦後ようやく映画を楽しめるぐらいの余裕が出てきたときにクレイジーキャッツは現れた。そして「無責任」を謳い日本を笑い飛ばした。眉をひそめる者も多かったと聞くが、青島幸男の歌詞に元気付けられた者も多かったに違いない。サラリーマンの悲哀を時に「コツコツする奴はご苦労さん!」と茶化していたが、裏では「頑張りどころを間違えるなよ、自分を大切にしろ」というメッセージを訴えているように聞こえる。モーレツ社員を否定しながら「会社は何もしてくれない、自分を信じて前に進め」と私には聞こえてくる。実は仕事熱心だったクレイジーの生き様を重ねてしまう。
現在、不況と将来の不安を理由に目標が定まらないという悩みは特に若年層の中で多く聞かれる。将来自分は何になりたいのか、なれる自信はあるのか、なれるように努力しているのかという問いに対して明確に答えられる人は私も含めてそういない。じゃあ戦前・戦中派が終戦直後に目標を持っていたのかと聞けば多分ほとんどが答えられないだろう。生きるのに必死でそんなこと考えられなかったと言うに違いない。「私らの時代に比べれば贅沢な悩みだよ」とか「そんなこと考えるより働け」と…
だが平成の人間にはその言葉すらプレッシャーになる。昭和の言葉をそのまま伝えても、現在の行き過ぎた個人主義の中では本意が伝わらないだろう。私は谷啓氏が亡くなったと聞いて、一つの時代が終わったような思いがした。