ヴァイオリンレッスンのおさらい

その日の気分でコンピュータの話題やヴァイオリン、果てはトイレの話にもなる節操ない日記。

昨日は日を空けずに今年2回目のヴァイオリンレッスン。練習不足で全然弾けなかった。いや、練習しててもちゃんと弾けたことがないけど。先生にこないだ描いた年賀状を手渡したのだが、気に入ってくれたのか教室の壁に私のだけ貼ってあった。おそらく他の生徒さんたちに「○○さんが描いたんだよ」と見せびらかしていると思われるのでちょっとこっ恥ずかしい。

最近はちょっと左手の運指に気を取られて右手のボウイングがおろそかになってきたようだ。特にひじの位置が高いことを指摘される。ひじに文鎮を吊るすような感覚を心がけるように言われた。なるほど、イメージとしてつかみやすい。また弓と楽器の角度も直角に交わらなければならないのが斜めになっていることも目ざとく見つけられる。先生曰く「私の立っている位置は弓の角度に合わせてあるから私を突くようなつもりで弾きなさい(笑)」と。長年教師として実績を持つ人は立っている位置すらあなどれない。

運指も日ごろの柔軟とビブラ棒によるトレーニングで柔軟な動きができるようになった。が、先生も指が動くとわかれば容赦ない。その分課題が上積みされた。指を指板から離すことなく開放弦を弾いたり隣の弦を弾くなどの、従来の私では考えられなかった高等テクニック(ってほどのものじゃないけど)を要求された。1音ずつしか出さないのにまるでピアノやギターでコード弾きをするような指の動き。梅図かずお「まことちゃん」のグワシサバラ10連発のような指の酷使。指の腱と脳を同時に混乱させる。

さらに教本マイア・バングは弓の使用配分を混乱させる課題がてんこ盛り。1拍目の四分音符を全弓下げ弓、2、3、4拍の四分音符をスラーで全弓上げ弓で返すという、1+3=2みたいな算数の計算が合わないような動き。でもこれができないと先生曰く「聞いている人が何拍子で演奏しているのかわからない」とのこと。アクセントや抑揚が適切にできないと「音楽」にならないし、それが出来る人は練習曲すら心地の良い「音楽」となるのである。

さらに手首から下の手の動きだけでボウイングする元弓、先弓の小刻みな動きなどの練習も開始。この奏法は長年習っている人でもなかなかできない高等技術らしい。だがこれが出来るようになると表現力が段違いになるとのこと。とはいえ現在の課題をクリアできていないまま次々と新しい試練が山積みされる。

言うことを利かない腕と、納得しない脳をコントロールできるようにするには、結局手数を動かすしかない。様々な奏法を組み合わせて音のニュアンスを作れることが私の最終目標。Practice makes perfect とは言うけれど「完璧」のないのが音楽の世界。上を見ると途方もなくキリがないが、行けるところまでは行ってみたい。

などとエラそうなことを書いていて、未だ他人に聞かせるような曲を1曲も弾けない基礎段階。

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