脳というのは右と左に分かれて交差して、右脳で左半身、左脳で右半身を動かしている。それだけじゃなく役割分担が決まっていて、右脳で空間を把握(感覚脳)し、左脳で論理を思考(論理脳)しているというのもよく知られている。芸術などの分野では右脳、科学技術などでは左脳がそれぞれ発達している人が優れたものを残すらしい。
ただ、単純にそうともいえず、ノーベル賞の科学分野で受賞している人なんかは思考中に右脳がめまぐるしく動くらしい。最近でも将棋のプロ棋士が詰めの一手を考えるときに今まで関係ないと思われた所が活発に動くことが発見された。まあ人間の思考方法なんて未だ一部しか解析されていないのでその辺はそのうち頭のいい人に解明されるんだろう。
そんな理屈っぽいことを突然こねくり出すmezzoであるが、思考回路に若干の問題を抱えていることは周囲の人間ならず、ここを読んでいる人も薄々感じているのではないかと思う。基本、私の脳は面倒臭がり屋である。すぐに物事を単純化しようとしたがるので短絡的思考になりやすい。結論を急ぎすぎる脳なのだ。
時としてそれは習得のスピードを速めて便利なこともあるのだが、感覚だけでガンガン突き進んでしまって実は構造を全く理解していないことも多々ある。感覚は感覚、論理は論理と割り切って、どちらかがわかってればそれでよいと結論づけてしまう。右脳は右脳、左脳は左脳のやることだと各々が責任を押し付けて関知しない。つまり左右が全く連携が取れていないようなのだ。
最近になってそれがわかってきた。どうにも私は音譜が読めない。このところ音譜を目で追いながら音として理解し、運指に変換する練習をしているのだが、何か頭の後ろの方で右脳と左脳がケンカしているような気がして頭がこんがらがってくる。ト音記号の下の加線2本のすぐ下はソと頭では理解しているが、それがヴァイオリンのG線の開放弦とは理解してくれない。ヴァイオリンを持ってゆっくりと音譜を理解させようとすると、途端に弦を押さえる左指が引きつって拒絶反応を始める。左手が「俺は音で理解してんだから勝手にやらせろー」と叫ぶのだ。そうなるともうイライラの頂点。ヴァイオリンを投げるように手放してハアハアゼエゼエと息継ぎをしている。
音譜の読める人は音譜を音色の映像として瞬時に理解するようだが、どうやら私は英語で話すのに日本語で考えて英文に翻訳してから話すような遠回りをしているっぽい。右脳は「音譜を読むのはお前の仕事だろ」と言い、左脳は「お前が音出すんだからちゃんと話聞け」と各々が自分の不得意分野を毛嫌いしているようで全く協力し合う気がないらしい。まるで左右が他人のよう。考えてみると絵を描いているときも大体何も考えていない(右脳が勝手にやってる)時は調子がいいのだが、左脳が口を挟んでくると途端にガタガタになってくる。しまいにゃそのまま投げたくなる。いや、これは単に辛抱が足りないだけか?
ちくしょー、左右をLANケーブルで冗長化してえ。いや、むしろ機械化してえ、などと変な妄想をしてしまうが、結局はこの左右が仲の悪い脳と一生付き合わねばならない。住民の反対運動に遭っている幹線道路の工事現場に少しずつ資材を運ぶように、イライラしつつも少しずつ左右をシナプスでつなげるしかないようだ。