またもや間が空いてしまったが10月26日、以前チラシとプログラムを制作させてもらった林裕さんより、ご招待いただいたリサイタルに行ってきた。
場所は東急目黒線の洗足駅前にあるプリモ芸術工房。レストラン脇の外階段から上がった2階にあるこじんまりとした小さなホールで、壇もない所にスタインウェイのグランドピアノがデンと置いてあった。席も30~40人分の折り畳みイスが置いてある感じで想像していたよりずっと小規模。始まる頃には席がほぼ埋まっていた。私は最前列の壁際に座ったが、幅を取ってイスをきしませてしまうので、演奏が始まる前になるべく動かないよう体を小さくしていた(できないけれど)。
演奏前の代表のご挨拶によると、林さんとは学生時代の同窓。代表もチェロを演奏されるようで、このホールはチェロがよく響くよう設計されたんだとか。今回はホール開設2周年を記念したリサイタルで、林さんの東京初公演でもあるとのこと。客席との段差もなく、MCのマイクも要らない距離感のクラシック演奏会は始めて。ホームパーティぽいアットホームな感じ。
照明が落ちて林さんとピアノの佐竹さんが客席の後ろから花道を通って入場。Photoshop上では見慣れた顔だけれど、ご本人を直接見るのは初めて。とはいえ抱いていたイメージとまったく変わらず、MCが始まって初めて聞いた声もイメージ通りの優しいトーン。
抱えて来た楽器には見たことのないパーツが取り付けられていた。裏板には「膝当て」というヴァイオリンの肩当てのようなゴツイ木製パーツ(名前は「ユーモレスク」とのこと)が固定してあり、またエンドピンもクランク状に2ヶ所曲がって円筒状の重り(「ペザンテ」というものだそう)が取り付けられているもの。イナズマ・エンドピンと呼ばれている、林さんがアーバンマテリアルズと開発したオリジナルのものらしい。会釈のあと、これを床に突き刺して(床はチェロで突き刺す前提に未塗装の無垢材)まずは演奏から。
演奏が始まると疾走感のある音がドドーッと迫ってきた。時折メガネの下から笑顔を見せながら、ピアノの鍵盤を叩くように左手の指がチェロの指板の上を縦横無尽に移動する。チェロとは思えぬスピード感に圧巻だ。チェロを少しでもいじったことがあるならわかるが、あんなスピードで弦を正確に押さえられるものではない。マッドサイエンティストに左手を機械化されたのか、はたまた悪魔と契約したのか。とにかく私が抱いていたチェロ演奏ではなかった。
今回の演目は初めて聴く曲ばかり。というか私はクラシックをほとんど聴かないため元より全然知らないのだけれど、クラシック通でも聴いた事のないような曲ばかりらしい。林さんはチェリストの書いた曲を蒐集するのがライフワークのようで、ベッカーやポッパーなどが作曲した埋もれてしまいそうな曲を発掘し、音にしていってるそうだ。
林さんから頂いたメールの中から勝手に引用させてもらうと「無名の作品を取り上げるという事は、お客さんを説得する様な事」だそう。確かに単純に考えても、ほとんど人に演奏されたことのない曲は、模範演奏などというものもほとんど存在しない。評論家だって誰々の演奏は誰某よりも、などとだいたい比較対象を持ち出して批評するわけだから、評価もされにくいかもしれない。これって結構茨の道なんじゃないだろうか。
とはいえ私のようにクラシックそのものがよくわからない人間は、素直に音を聴くことしかできない。つけられた曲名から、その情景をイメージとして置き換える「音の咀嚼」を試みた。
各々の曲名については失念してしまったが、不思議な旋律のワルツやフランスっぽい洒脱でユーモアのある曲、憂いのある曲、現代音楽ぽいもの。周囲の空気を切り取ったり、吹き飛ばしたり、軽くも重くもしたりと、空気の振動(音)を自在に操りながら聴衆を驚かせ続けていた。私も何度かめまいにも似た、だが心地よい浮遊感。そして急に床に叩きつけられるような重量感を味わったりして音を愉しんだ。
特に印象に残ったのが「ブセファル」というソナタで、意味は「乗用馬」とのこと。タイトルからイメージしていたのは「貴婦人の乗馬」のようなコミカルなものだったが、演奏が始まると多頭引きの馬車のようなドドドッとした疾走感。2楽章目ではなんとなくだが雨の中、黒い馬が石畳を走る情景が思い浮かんだ。湿った空気、ヒヅメが弾く水しぶきの音。馬の息遣い、遠雷の響く黒く垂れ込めた雲。他の楽章でも人間に働かされている馬の視点で描いた「生の躍動」を感じさせられた。本当に作曲家がそう意図したのかは私の当てずっぽうなのでわからないけれど。
いくら小さな会場といえども、ホール全体の空気を動かすほどだから運動量も半端ない。時には林さんのお尻が片方ずつ浮くほど激しく左右にチェロを揺らしながら演奏していた。弦楽器も実は吹奏楽器のように呼吸をコントロールして弾くもの。瞬時に大きく息を吸い込んで疾走したり、消え入りそうなデクレッシェンドで糸のように細い息を吐いたり。こちらも何度か息を殺してしまうような迫力があった。
佐竹さんもここぞとばかりに正確に叩き込むピアノなど、目で合図も送らずによく合わせられるなぁと感心しきり。チェロは体の動きにコンマ何秒か遅れて音が出るもの。林さんの呼吸に耳を澄ませて即座に反応する動体「聴」力がすごいと思った。後ろから見ていたら国会で議事録を取る書記官みたいな冷静沈着さだったけれど。
実はほんのわずかなミスタッチも聞き取ってはいたが、そこをものともせず弾き切り、観客を掴んで揺さぶっていたのはさすが。相当の試行錯誤と練習を積んでいるに違いない。そしてそれは今でも研鑽を積んで完成に近づけているのだろう。親しみやすい風貌でありながら、修行僧のような厳しさを内に秘めていると思った。
あまり門外漢が演奏を批評するとボロが出るので、このくらいにして林さんのMCについても。曲の合間に「みなさん、そろそろ飽きてませんか?」などと笑いを取ったり、作曲家のエピソードを交えたり、アンコールを何曲も応えたりと、とにかく林さんのサービス精神が旺盛なこと。関西弁ではないけれど、関西らしいユーモアあふれた語りでも聴衆を引き付けていた。客席と近いせいもあるのだろうが、クラシックの堅苦しさは感じられない。私のことも皆様にご紹介いただいたり、他にもご協力のあった方々に感謝するシーンもあって、音楽家としては珍しく気遣いのできる方なんだなと思った(優れた音楽家はパガニーニやグレン・グールドのような変人だと勝手に思い込んでいたり)。
公演後は会場側でパウンドケーキとお茶が振舞われた。一呼吸おいて挨拶に現れた林さんはしきりに「集中力が続かない」とおっしゃっていたけれど、確かに演奏曲は難曲ばかりなのだろう。知られていない曲だけに楽章の合間を空けると観客が拍手のタイミングを間違えてしまうためか、ほとんど間も空けずに次の楽章に挑む姿はインターバルも置かずに何本もダッシュしているような印象を受けた。私だったら息切れしてしまって演奏後は奥に引っ込んで、挨拶に出る余裕すらないだろう。サインや記念撮影に気軽に応じている姿を見て、改めてやっぱりプロってスゴイと思った。
などと以上素人が勝手な感想を書きなぐったが、こうして一緒に仕事をさせていただき、クラシックコンサートとほとんど無縁な私がおそらく聴くこともなかった曲を聞かせていただく機会を与えてくださったことに感謝いたします。うん、今度はちゃんと金払って行こう。
あと数日ですが、この文を読んで興味が出た方はぜひ名古屋と大阪のリサイタルに足を運んでみてください(林裕公式サイト)。
2014/11/04 加筆修正。