おとといはバイクのプチ・ツーリングも兼ねて都内の弦楽器フェア2010に行ってきた。出発前、SRXを点検したらこないだの長雨でチェーンにサビが。軽く油を塗ろうととしたらチェーンの遊びが多いのに気づいてチェーン張り調整も。やるからにはしっかりやろうと30分ぐらい作業。ロスタイムにはなったがその後快調に都内を走り回れたのでよし。
ガソリン補充にスタンドに寄ってタンクを開けようとしたら鍵が回らない。何度かグリグリしても半分までしか回らない。無理やり回すと私の場合、根元でへし折ってしまうので慎重に色々動かすが固着して全くラチがあかない。一旦給油ノズルを戻して何度かガチャガチャ。諦めかけてキーが折れるか折れないかギリギリの力で回したらゴリッと鈍い音がして回った。やれやれ。古いバイクはこういうことがよくある。後でCRC漬けの刑に処することにしよう。
などとバイクの話で脇道にそれた。神保町までは慣れた道なので北の丸公園までほぼ迷わず到着。駐輪代が要るかなぁと思っていたら、誘導されて建物のすぐ目の前にタダで止められた。ラッキー。
ヴァイオリンの先生からもらった招待券で入場。会場の科学技術館は角ばった星型のような建物で、1Fの展示室は5×2の10スペースに分かれている。地下2Fのホールでミニコンサートがあるので、その合間の暇つぶしに何回もぐるぐると回る。妹からもらった赤い革ジャンで周囲から浮いた格好だったので、おそらく展示室の人は「あのオッサンまた来たよ」と思っていたに違いない。
で、この弦楽器フェアというのは何がすごいかって展示楽器が触れるということ。ものによっては試奏用の弓も備え付けてあって誰の断りなしに自由に弾くことができる。最初に6種類の弦が試せるコーナーを見つけたので、恐る恐る手を出してみる。あの高級弦ピーター・インフェルドがあったので弾き比べてみたが、なんか雑然とした会場のせいか、ドミナントとの違いがちっともわからない。ていうか私の耳が悪いのかも。その後、調子に乗って色んな楽器を弾いてみたが、120万の楽器ですら「素直に鳴るなー」という印象ぐらいで、取り立てて感動はしなかった。いや、それは私のテクニックのせい。
変わったケースやチェロ用のイス、キーホルダーや携帯ストラップとかもあって見ていて面白かった。他にもヴァイオリン用の木材や部品なども展示してあり、その場で売っていた。将来、制作者となる若い人たちが手にとっては品定めしていたが、ニスですら50ml程度で4,000円とかすごい値段。売っているものの値段のゼロの数が日常と2つ3つ違う世界。でもヴィオラ用のあご当て(ローズウッド・3,000円)やテールピース(ローズウッド・1,500円)、アジャスタ(ドイツ製400円)などが格安だったので衝動買い。
時間が来たのでミニコンサート会場の地下ホールへ。パラパラという拍手で始まり、和服の司会者が楽器制作者を紹介したあと、サラリーマンぽいグレーのスーツを着たねづっち似の人が出てきたので、最初どうかなと思っていた。大抵この手のコンサートはアルバイトで上手いけどソツなくこなす人というのが定番らしいので。1曲目はガーシュインで最初の一音を聞いたら「あーやっぱり」という印象。だがこの二村英仁という人、実はこんなもんじゃなかった。どうやらこの1本目のヴァイオリンは音量が出ていないだけで技巧はものすごい。ガーシュインのジャズっぽい複雑な旋律をおそらく即興のアレンジも加えてスイングさせていた。音は鳴ってないがすごいぞ、こりゃ。
2本目の楽器から音量が出るようになって二村氏の本領発揮。曲ごとにとっかえひっかえヴァイオリンを交換し、曲調の全く違うものを巧みに弾いていた。叙情豊かに歌い上げたかと思えば、無伴奏は修験者のように厳粛に。パガニーニではヴァイオリンが壊れるんじゃないかと思うぐらい挑戦的。おそらく個々の楽器の持ち味を生かした曲を選び、フルに性能を引き出すことを嬉々としてやっているのだろう。演奏後の笑顔に達成感が見て取れたし、観客の拍手も次第に力強くなっていった。
実はヴァイオリンというのは取り替えてすぐ慣れるほど没個性な楽器ではない。恐ろしく個体差が激しい。優秀な楽器は総じて弾きやすいとは言われるが、鳴り方の異なる楽器を替えてここまで超絶に(それも暗譜で)弾きこなすテクニックはハンパじゃない。二村氏おそるべし。ねづっちみたいとか言ってごめんなさい。おわびになぞかけを……(15分)……整いましたー。ヴァイオリンとかけましてー、当たりくじと解きます。その心は、どちらも簡単にはひけません。おそまつ。
しかし同僚のクラシックファンの人から聞いてはいたが、観客の中にはマナーが悪い人も多かった。ひとつは奏者の演奏がまだ終わっていないのに音が鳴り止んだらすぐ拍手。まだ演奏の呼吸を止めていないのに、フライング気味に始まる拍手はその余韻を台無しにしていた。あれは楽器をやらない、いや音楽すらわかっていない輩だな。静かに終わる曲は譜面にまだ休符(それもフェルマータつき)が残るものがある。つまり「余韻」という聞こえない音を作曲者が意図して書いているわけで、音が消えても演奏は終わっていないのだ。二村氏は曲がまだ終わっていないのをわかりやすくオーバーアクションで表現していたのに、音が鳴り止んだらそこかしこからまばらな拍手が鳴った。それも一人一人の音が大きい! お前はやらせのオーディション会場でふんぞり返りながら演技を中断させて「はいはいはい、ありがとー、じゃーさよならー」って言っているディレクターかっ。
だがさらに頭に来たのは演奏中、小さい子供の「だうっ」って声が聞こえたこと。親は情操教育のつもりか何か知らんが、黙って席にもつけないガキを連れて来るな。クラシックファンの同僚は「今まで聞いた中で最悪だったのは、静かに曲が終わる直前でキャラメルをクシャクシャと開け始めたオバサン」と言って、日本人の芸術に対する民度の低さを嘆いていたが、今回それを理解できた。
「音」を「楽」しむのに堅苦しいルールはご不要ですが、最低限静かにしていて頂きたい。もし余韻も楽しめない大変残念な耳をお持ちであるならば、恐縮ではありますがコンサートなぞにわざわざお来しにならないで、ポータブルのモノラルAMラジオでNHKなどお聞きになられては如何でしょう? そう耳元で囁きたい。つうか鼓膜を自転車のスポークで突いてやろうか、まったく。
しかしマジメな音楽ファンだけじゃなく「金払ってんだぞ? 俺は客だぞ?」みたいな輩も客として取り込まないと、明日のご飯も食えないのが芸術産業。ある程度は仕方ないのか…と、タダ券で買う気もないのに冷やかしで高価なヴァイオリンをいじりまくり、聴いてきた私がボヤいてみる。
←おまけ。
科学技術館の運営募金箱。
コインを投入するとくるくると長い時間転がる。
それだけ、だが面白い。