最近ブログだけでなくヴァイオリン練習もサボり気味なのだが、先日のレッスンでマイア・バングの教本1冊がやっと終わった。習い始めてほぼ2年半かかった。
終わったといっても先生にオマケしてもらいながら次へ次へと進んでいったので、ちゃんと課題が弾けていないのがほとんど。それにこの教本は一人で弾くには楽しくない曲が多く、次のレッスンまでに家でマトモに開いて練習しなかったことも多々あった。なので終了と言っても後ろめたい思いがあったりする。
とはいえ2年半前よりは格段にテクニックはついているので、それなりに一応頑張ってこなしてきたんだなぁ、と感慨深い。いつかはちゃんとやり直したいという気持ちもあるけれど、多分この本はもう二度と開かないだろう。とはいえヨレヨレになったこの本を捨てたりはしないけれど。
1冊終わったからといっても、未だ片手で数えられる程のペーシ数しか進んでいない本が2冊。そこへ新たにマイア・バングのPart2とPart3が同時に加わった。だから後ろを振り返っているほど余裕がない。ヴァイオリンは終わりの見えない技術の積み重ね。いくら課題をこなそうが次から次へと難題が課せられて、自分が巧くなったとは思えないようにできている。
人前で演奏するのに躊躇なくできるようになるのは一体何冊教本をヨレヨレにしなければいけないのだろうか。多分自分の演奏に納得いかないまま、フライング気味に無理やり下手な演奏を人に聴かせるしかないのだろう。
葛飾北斎は90になって「あと5年生きてれば本物の画家になれたのに」と言ったらしい。誰だかヴァイオリニストの巨匠も「弓のテクニックを完璧にマスターした頃には老人になっている」みたいなことを言ったらしい。絵もヴァイオリンもそういう意味では一生モノとして向き合わないとならないものなのかもしれない。
実に厄介なものを趣味にしてしまったものだ。