タイトルは芥川賞受賞作品のパクリ。いや、最近の純文学とか興味ないので読まないのだけれど。
月頭に解体を始めると言われていたのだが、週末毎に訪れても何も変わらず正直ヤキモキしていた。ようやく昨日から予定より半月ほど遅れて古い家の解体が始まったようだ。
今日、様子を見に行ったらどうやら盆休みに入ってしまったようで、半壊したまま放置されていた。未だ解体業者への挨拶も差し入れもできていない。仕方なく中途半端な状態をカメラで50枚程撮影。
先日、解体される前にと思って荷物を出してがらんとなった家の外や中を撮影しておいた。窓から差し込む光だけで、暗く湿っぽく空気が淀んだ家は、かつて住んでいた頃と印象がまるで変わっていた。寂しくなるとかより、汚いとかボロいとか気持ち悪さが先に立って、さっさとその場から出たくなる。主を失った家の悲鳴が聞こえてきそうで嫌な気分になる。
古くなった家具や父が放置していた資材や道具、私のガラクタも解体と同時に処分してもらおうと置いたまま。見慣れているはずなのに、住んでいた人間の思念が乗り移って意思を持っているかのように見える。いや、私らが住んでいたんだが。
竜巻が通り過ぎたように無残な姿となった我が家。木材が悲鳴を上げているようだ。大工だった父は古材をリサイクルして木を大切にしてきたから、その思想をちょっと受け継いでしまった私は見るのが心苦しい。だが立ち止まって何かをするには時間もお金も足りない。残念ながら今の時代、スクラップが一番お金も時間も手間もかからないのだから。
一時期一人暮らしで離れていた頃もあったが、人生の大半はここで寝て、ご飯を食べて、絵を描いて、インターネットして、う●こした。家族の暮らしが染み付いた家。だが寂しさよりも「やっとか」と安堵してしまう。薄情かもしれないが、正直さっさと跡形もなくなくなって欲しい。わずかに残った未練を断ち切るために。
仮住まいに帰宅し、父にこの写真を見せた。数枚横目で確認したあと、そっぽを向いて手を横に降って続きを見るのを拒んだ。わかるよ。見たくないよね。
とっくに覚悟は決まっていたけれど、もう後戻りは出来ないんだなぁと実感。でも新居が建つ楽しみな気持ちはまだ湧いてこない。