今日、東京でソメイヨシノの開花宣言が出た。こんなご時勢なので今年は花見とかイベントとか自粛になるのだろう。ニュースもネットも政治や社会の悪口ばかりで、見ているとあまり精神的によろしくない。人間の傲慢さと無力さを思い知らされ、先の不安ばかりが募らされる。

しかしマイナス思考は何も生まない。もちろん問題はいつか解決させなければならないことではあるが、自分がどうすることもできないことまで気にかけていると気分が重くなる。身の周りのほんの小さな幸せすらも見過ごしてしまう。

夜勤明けの帰り道、まだ外套も脱げない寒い朝だったが、顔に注ぐ陽射しが柔らかく心地よかったことに気がついた。足元を見ると小さな花がそこかしこに咲き始めていた。うっかりしていたら踏みつけそうな場所にも無数の花芽がついていた。花芽を避けながら注意して歩くとさらに春の息吹を感じることができた。

この冬は寒さが厳しく、妙に長かったような気がする。しかしその冬も終わろうとしている。多くの人にとって未だ不安という長い冬が続く状態ではあるが、生ある限り春は等しくどの人にも訪れる。

足元の小さな花を見て、高尾山のトイレに貼ってあった「脚下照覧」という言葉を思い出した。坊主がトイレのスリッパを揃えさせる意味で貼ったのだろう。だが自分の足元を見る余裕があれば人は優しくなれるものだ。我々がやることは伝聞に惑わされて浮き足立つことではない。己の軸足を据えてやるべきことをやるだけだと思う。足元の花はやがて種をつけ宙を舞い、翌年にはあちこちに花を咲かせることになる。自らその未来を踏みにじることをしてはならない。

などとエラそうに書いてはいるが、私も不安で押しつぶされそうな夜がここのところ続いていた。ブログをマメに更新するなどしてテンションを上げようと必死になっていた気がする。だが足元の小さな春を見つけて少し気分が和らいだ。焦らず、ゆっくりがんばろうと思った。

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