このぐらいの歳になると、色々と物事に動じなくなってくる。いわゆる「不惑の年」ってやつだ。怒りや悲しみ、憎しみや妬み、さらには痛みや喜びさえ、様々な感情に対し自分でスイッチを入切できるようになった。

 昨朝、夜勤上がりに家に戻ったら玄関先にダンボールが置いてあって、巻かれたタオルに線香とお供えがしてあった。タオルの中身が何かはピンと来た。食卓に向かうと案の定、母のメモがあった。

 悲しくはなかった。最近は家の床に構わずおしっこをするし、いくら洗っても洗っても洗っても自分で手入れをしないのでまた臭くなるし、毛並みはボロボロだし、手はかかるし、可愛げもないし、元々内臓疾患があって、どんどん最近弱くなってきたし。正直、やっと家の中が汚れなくなるなと思った。

 迷い猫としてウチに来て6年以上経つだろうか(右写真は2004年)。丸々と可愛らしい外観に反し性格はまったく可愛げなく、干渉されるのが大嫌い。甘えて来たり体を擦り寄せて来たことなど一度もない。独りでいるのが好きで、ヘタすると撫でられることすら拒否するぐらい。食い散らかすしトイレも汚すしロクな猫じゃなかった。近所のアメリカンショートヘアーの野良と子供作るが、育児も放棄気味だったし。病院代も一番かかっている。

 最後に見た姿を思い出した。前日仕事に出るとき、家の前で腰を落とし前足は直立し、番犬のように座っていた。こちらをじっと見ていた。いつもならこちらが目線を向けても興味なさげに視線を逸らしたり、さっと逃げるのだが、その日はずっとこちらに目を向けて、その場を動かなかった。その時は別に気にも留めず、撫でもしないですぐ前を通り過ぎた。

 そのすぐ後なのだろう。あとで母に聞いたら夜、玄関の前でそのまま息絶えていたという。最近足取りがフラフラしている感じだったし、もう長くはないだろうとは思っていたから別に驚きもしなかった。

 今も悲しみのスイッチは切ったままにしている。後ろ向きに泣いている暇なんかないし…ただ、最期の日、撫でてやらなかったのを後悔している。

「悲しみのスイッチ」に3件のコメントがあります
  1. ニャンコって死期を悟るんですかね?

    私の知り合いのネコは、その人の父が亡くなったとき、骨壺の前でじっと座っていて、翌日死んだそうです。

    人にはなつかないイメージがあったんで、何か意外に感じた覚えがあります。

  2.  先日亡くなったうちの古参猫がその数日前にやったらにゃーにゃー、
    それはもううるさいぐらいに鳴いて回って、あんまり煩いので膝に乗せたら
    それまでのが嘘の様にじっと目をつぶっておとなしーくしていたのを思い出した。

    何か感づくのかもね。

  3. コメントありがとうございます。
    無理すれば何かコメント返せるのだけれど、今はすみませんが何も思いつかないので…

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